コラム

New York、酒と泪と男とアートディレクション

渋谷を制覇、次に狙うはタイムズスクエア

share

【前回のコラム「「仏壇」広告からビヨンセのアートワークへの道(2)」はこちら

今年のニューイヤーズイブは雪の中でシャンパンを冷やして、外でカウントダウン&カンパーイ!ニューヨークから車で4~5時間北にあるバーモント州のウッドストックという街。ネットもない、携帯も通じない、テレビもない、家電話もない山の中の一軒家に4日!普段メールや連絡に追われている私には、とっても特別なゆったりした休暇になりました♡

新年明けましておめでとうございます from NY!

ニューヨーク(アメリカ)にはお正月なんてものは存在せず、日本でいう大晦日が一大イベントです。12月31日のカウントダウンで死ぬ程飲んで、1月1日は二日酔いで寝て、2日から仕事開始ってのが当たり前。

まあそれまで散々感謝祭やらクリスマスやらとホリデー続きでお祭り騒ぎしてるのだから、そろそろ働かないとですからね。私もやっとぼちぼち働き出しました。今年も宜しくお願い致します!

それでは前回のお話の続きから…。

今しかできないことを、今しよう

上京したての頃、原宿の駅で母に「いつか私の関わった広告が原宿に飾られるから!」と約束した。原宿は叶わなかったけど、渋谷は叶った。

その後、ニューヨークに旅行で行った時に「渋谷の次はここ、タイムズスクエアだろー!」と次の目標を立てた。基本的にベタな事が好きな私は、この時すでにニューヨークと恋に落ちていた。そして「ああ、ここに住みたい、ここで働きたい、よし、いつか住もう!」と心に誓った。

誓ったものの、私には駐在員になれる環境はないし、お金もないし、貯金もない。とりあえずそんな時は実家のお母様仏様に頼むしかなく、情熱と熱意で母から借金させてもらう事に(未だに返してないけど。ごめんなさい)。

母一人、娘一人で二人っきりの家族なのに、戸惑いはしたものの、私を応援してくれて送り出してくれた母を思うと今でも胸が痛い。母ちゃん、ありがとう。

あのまま東京の代理店で働いていたら、きっと仕事も出来るようになり、お給料も少しずつ上がり、結婚でもしてお正月は家族旅行、年に2回は里帰り、なんて人生があったかもしれない。

でも、そんな安定が見えた20代半ばの当時の私は『そんなの後からでも出来る。今しか出来ない事を、今しよう』と思って日本を出る事を決意したのだった。

取り急ぎ、汚い字で『退職願』を書いた。それでも田中CDにいきなり渡すのはやっぱり怖かったので、ユルめに優しい文園CDにまず提出。臆病者の私は文園CDが、私の退社にガッカリしてくれた事が嬉しかった。

そしてもう一つ嬉しかったのが、「” 中鉢が最近やっと使えるようになってきたな “って田中さんも言ってたところだったのになあ」と、文園CDが言ってくれた事だった。その言葉を聞けたから、「次に進める」と思えた。

次ページ 「行けば何とかなる、は何とかならない」に続く

Follow Us