コラム

澤本・権八のすぐに終わりますから。アドタイ出張所

その企画は、本当に自分が面白いと思うものになっているか?(ゲスト:多田琢さん)【後編】

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【前回コラム】「ペプシネックスゼロ・桃太郎のCMは「クリエイターとクライアントが同じ夢を見た」からできた【前編】(ゲスト:多田琢さん)」はこちら

大好評の前回に続いて、多田琢さん(TUGBOAT)をお迎えして送る今回の「すぐおわ」。TUGBOAT設立の経緯や多田さんが大切にされている「CMづくりの方法論」に迫る!

今回の登場人物紹介

左から、中村洋基(すぐおわレギュラーゲスト)、澤本嘉光(すぐおわパーソナリティ)、権八成裕(すぐおわパーソナリティ)、多田琢(TUGBOAT)

※本記事は5月22日放映分の内容をアドタイ用に編集したものです。実際に放送された内容とは一部異なります。

TUGBOATを設立した経緯

中村:先週に引き続き、CMプランナーの多田琢さんにゲストで来ていただいています。多田さんは1998年度にクリエイター・オブ・ザ・イヤーを最年少で受賞され、1999年にTUGBOATを設立されています。TUGBOATをつくろうと思った経緯は?

多田:TUGBOATの4人は全員、電通時代の「岡部(おかぶ)」のメンバーで。電通では苗字が部名になっていて、TUGBOATはリーダーの岡康道さんとその部下でつくった会社。でも、当時の岡さんは電通で偉くなりたい人で・・・。

一同:

多田:結構、今でも人事好きだしね(笑)。まだ電通にいた頃、岡さんが会社から「クリエイティブエージェンシーに行って研修して来なさい」と言われて、確かイギリスのエージェンシーをいくつかまわって、リサーチして、帰って来てから会社に報告するということがあって。帰国後に岡さんが「これは日本でできるぞ。やるのであれば一番先にやろう」と。

その頃の俺は、会社の中で部下を持って教育して、現場から離れていくというのは自分のタイプとしては難しいと思っていた。管理職になりたいわけでもないし、サッカーのカズ選手みたいにずっとプレイヤーでいたかったから。それが一番美しいと思っていたし、岡さんにもそんな話はしていて。だから、いずれは1人になるか、何人かでやるかはわからないけど、そういうことになると思っていた。

中村:なるほど。

多田:それで岡さんが帰国したら、いきなり「やるぞ!」と。「じゃあ、やりましょう」と、「岡部」の4人でバッと集まって、TUGBOATをつくったという流れ。

中村:何歳の時ですか?

多田:35歳ぐらいかな・・・。

中村:権八さんは電通からシンガタに独立されたのは何歳の時ですか?

権八:28歳くらい。シンガタできたの2003年だから。全然関係ないんですけど、僕は、タグボート設立に運命をちょっと翻弄されたんですよ。

一同:えっ(笑)!?

多田:俺たちもやるかみたいなこと?

権八:違う、違う。もともと、僕は学生の時に、小田桐さんから岡さんに会わされて「一緒にやろう」て誘われて「岡さんかっこいいな〜」てなって、他社をお断りして電通に入った経緯があって。

中村:そうなんですね。

権八:98年に入社して岡さんもなんとなく可愛がってくれてたんだけど、でも、ある時岡さんがバツ悪そうに近づいてきて「権八ちょっとごめん…。俺、お前を電通に入れちゃったけどさ、俺、会社辞めるわ」と。

一同:爆笑

権八:えーー!マジすか?!みたいになって。ちょっとうまいもん食わしてやるよとか言って(笑)。それで、丸静でウナギ食わされて、その後、隣りの新阪急ホテルのラウンジでコーヒー飲みながら「まぁな、お前もちょっと考えたけど、まだ新入社員だろ〜(笑)。ま、3年後力つけたら来いよな」とか言って「とりあえず俺の荷物運んでくれる?がははは(笑)」って感じで、僕は岡さんの荷物をダンボールで運んだんですよ、聖路加タワーから。

多田:あのマンションに?

権八:はい。「タグのメンバー以外でこの部屋に入ったのお前が初めてだよ」とか言われながら。明石町の最初のTUGBOATの。

酔っ払って佐々木宏さんに暴言を・・・

澤本: TUGBOATの人達がいなくなってから、僕は佐々木宏さんと仕事をするようになったんですよ。佐々木さんはずっとTUGBOATの岡さんや多田さんと仕事をしていたのに、「言うことを聞く奴が全員いなくなった」と言って(笑)。しょうがないから、その下の下部組織から使えそうだと思う人を連れてきて、僕が一緒に仕事をすることになった。TUGBOATのメンバーがいる時は、僕は佐々木さんと仕事をしたことがなかったから。

多田:そうだったんだ。

澤本:ほとんどないですね。だから、発注先がなくなったから、やむをえずという(笑)。

多田:それは良かったよね。

澤本:はい、本当にいなくなって良かったなと。

一同:爆笑

多田:佐々木さんはメジャーにしてくれるからね。

澤本:佐々木さんと仕事する前なんて、僕は本当に月1本つくって、それをずっと1フレ、2フレ直していて、「あー出来た、今月終わり」みたいな感じだったから。

権八:当時、澤本さんが何かのパーティーで、佐々木さんに酔っ払った勢いで・・・。

澤本:暴言を吐いた。

権八:いい話ですよね。

澤本:小田桐昭さんが電通を辞める時に、パーティーがあって。おいしい料理がある真ん中のテーブルのまわりは人がいっぱいで、僕はまだそこを突っ切っていけるような勇気がなかったから、外側にあるワインばかりを飲んでいたんですよ。

中村:空きっ腹にワインを。

澤本:そしたらデロデロに酔っ払って、立てなくなって壁に寄りかかっていたら、向こうから知り合いと佐々木さんが来て、佐々木さんを紹介してもらった。僕は酔っぱらっていて、本当に申し訳ないけど、距離感が全くなくて、「佐々木さんがつくってるものは全部、岡さんがつくってるんじゃないですか?」みたいなことを・・・。

一同:

権八:でも、もっと・・・そういうことだったんですね。いや、単純にもっと、「あなたがつくっているものはあまり面白くない」みたいな(笑)。

澤本:今は、ちょっと遠慮して言った。実際には「つくってるものはいいと思ってるだろうけど、さほど面白くない」と・・・。

一同:爆笑

権八:すごいな。

澤本:「画がなんか暗くて嫌だ」というのと、「岡さんがだいたいつくってるんですよね」みたいなことを言ったら、笑ったのか、怒ったのかわからないような顔をして行ってしまった。後でゾッとして、どうしようと思って。謝った記憶がある。

権八:でも、それからですよね。お仕事されるようになったの。

澤本:その時に、何かで「すみませんでした」と言ったかで、「仕事を今度しよう」という流れになって。

権八:昔、多田さんがサントリーのBOSSのCMをやるぞと。BOSSはこれまで矢沢永吉さんでヒットしていて、自分の番になった。これは絶対に外したらまずいとか、バッターボックスに立って、絶対にヒットしなければいけない。でも、万が一、ヒットしなかったら俺は終わるみたいな、そんなことを言っていたじゃないですか。そういうプレッシャーが。

多田:あったね。BOSSと写ルンですはすごくプレッシャーがあった。今は「あれをやるとステータスになる」という広告はあまりないよね。あの頃のBOSSは絶対に失敗したら・・・特に佐々木さんは人の失敗に厳しいじゃない。

一同:

多田:だから2回目はないと思っていたし。あれは本当に毎晩、寝汗をかいていたね。毎晩「やばい、追いつかない」と。

中村:クリントンのやつですよね?

多田:そう。佐々木さんには「矢沢永吉さんを継続してもいいし、任せるよ」と言われて。そのまま継続でもヒットか2ベースぐらいはいける感じがした。凡打もない。だけど、勝負しないと後悔するだろうなと思った。そのぶん、すごいプレッシャーだったけどね。やばい、やばい、本当に終わる・・・ここで終わっちゃうんだと。

権八:多田さんが、そんなことならないと思うんですけどね…。

多田:いや、どうなんだろう。すべったら、あったかもしれないよ。少なくとも、佐々木さんとはその後、なかったかもしれないしね。

澤本:矢沢さんじゃないからと言って、クリントンの企画の場合は、「タレントなし」だったじゃないですか。ノンタレでやろうという決断はすごいですよね?

多田:あの時の自分を褒めてあげたいね。

一同:

多田:今だったらしないかもしれない。ブラッド・ピットでお願いしますと(笑)。若かったんだろうね。

澤本:あのCM自体、単純に企画が面白いからいったというものじゃないですか。

多田:それって難しいよね。あの頃は、「ああいうものがまだない」と思ったんじゃないかな。スケールのでかい・・・自分の中ではアメリカのドラマ『ミステリー・ゾーン』(原題は『トワイライト・ゾーン』)が好きで、それに近かったかもしれない。とあるバーのドアを開けると違う国に行っちゃうみたいな、ちょっと不思議な感じがして。「ああいうエンターテインメントがないな」と思って、やったんじゃないかな。

澤本:なるほど。

多田:BOSSだし、結構力も入ってるし、俺は佐々木さんも何案か出すと思っていた。でも、自分の1案しかなくて。プレゼンをした後は、サントリー宣伝部の人達もちょっとキョトンとしていた。受けたのか、受けてないのかもわからないし、「次あるのかな?」と思っている感じもあったから、「この1案しかありません」と言ったら、サントリー宣伝部のある人が「1案で結構。これでやりましょう!」と、バーンとそこで言ってくれて。

一同:おー、すごい。

多田:かっこよかった。痺れたね、あの時は。

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