【前回コラム】「第3回・「広告というものは真実を表現する以外にない」~片岡敏郎の言葉~」はこちら
「日本の企画者たち」は、広告・メディア・コンテンツ界の礎を築いた93人の列伝です。この人たちの仕事や言葉から読者は多くのヒントや心構え、そして勇気を受け取ることでしょう。今回は番外編として、大橋鎮子・花森安治を取り上げます。
『日本の企画者たち ~広告、メディア、コンテンツビジネスの礎を築いた人々~』(宣伝会議刊 3月30日発売)
大橋鎮子は、いま視聴率20%を超すヒットのNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の主人公、小橋常子のモデルとしてようやく注目されるようになりました。鎮子が敗戦直後の昭和20年(1945年)、出版社の創業を決意したとき、金もなくコネもなく専門知識もなく、あるのは激しい「ヤル気」だけでした。人に使われているのでは25歳の女の身では金がつくれない、自分で創業し、これまで苦労をかけた家族を幸せにしたいという強い願いがあるだけです。
そんな中、花森安治という編集の天才と知り合った幸運が彼女の道を切り拓きました。花森安治は「異能の人」と呼ばれ、おかっぱ頭でスカートをはくききょう奇矯なファッションが世間の好奇心の対象になりましたが、本質は強い信念を持つ優れた編集者でした。
鎮子は新しくつくる雑誌のすべてを花森に任せ、自分は裏方に徹しました。嫌なこと、苦しい仕事は自分で引き受けました。花森安治の個性が見事に花ひらいたのは鎮子の万全の支えがあったればこそ。安治と鎮子は雑誌づくりの稀に見る名コンビでした。
「女の人に役に立つ雑誌。暮らしが少しでも楽しく、豊かな気分になる雑誌、なるべく具体的に、衣・食・住について取り上げる雑誌。」この方針のもとに、まず「衣」に焦点を絞り、「スタイルブック」という本を発行する計画を立てました。(敗戦直後、食べ物は配給制、焼け野原の街はバラックの仮設小屋がたち、とても食や住の記事はつくれません。)