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コラム

ビデオコミュニケーションの21世紀〜テレビとネットは交錯せよ!〜

『逃げ恥』のヒットから考える「広告とはそもそも、心を動かすコンテンツではないか」という話

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動画広告はバナー枠と同じ感覚で置いてはいけない

動画広告が花盛りです。はっきり伸びている。広告手法として根づきはじめています。でも、私にはその多くがうまい形態になっていないと思えるのです。

だって、ニュースサイトの面白そうな記事を開いて最初のほうを読んでいると、その見出しに覆いかぶさるように枠が出てきて動画広告を流しはじめるんです。あるいは、記事を読んでるとその途中に枠が「うにょー」と出てきたり、記事の1ページ目の最後に動画広告枠があったりして、とにかく記事を読もうという気持ちを逆なでしてくるのです。暴力的でさえある。

例え、「うにょー」と出てくるのがガッキーと星野源が踊る楽しい恋ダンス動画だったとしても不愉快になるでしょう。「ちょっと待ってよ、俺はこの見出しが面白そうだと思って、記事を読みはじめたのに、邪魔するんじゃないよ」。

広告手法の中でも動画は強いパワーを持っています。だからちゃんと見てくれたらかなり効果を発揮するでしょう。でもだからこそ、見せるには“流れ“が必要です。読者に「まあ、そういう動画があるっていうなら見てもいいけど?」くらいな気持ちにはなってもらわないと。

私が思うに、ネットでの動画広告は、バナー枠を置くような感覚で見せてはいけないのです。そうしないと、動画広告が根づかない。テレビ放送は、何十年もかけて「民放の番組を見ているとCM入るよ」という文化というか常識を築き上げてきたのです。それに、肝心な場面でCMになると時に苛立ちはするものの、CM枠そのものは否定しない。そういうものだと受けとめられる。視覚の邪魔はしないからです。同じ画面にコンテンツと広告を同居させようとはしない。同居はできないのに、いまの動画広告枠は無理やり同居させようとするから不愉快なんです。

独立したコンテンツとして楽しめる、という点も重要。ネット上ではテレビCMよりもずっと「楽しめる」「興味深い」が重要です。あ、この動画は商品を押し付けようとしている。そう思われたらもう、閉じられてしまいます。興味を途切れさせることなく、商品への入口を提示しないといけない。

ここで、あえて怒る人が出てきそうなことを言います。この感覚、「ネット広告ネイティブ」の人はあんまりわからないんじゃないでしょうか。そんなややこしいこと考えなくても、商品名をボンと伝えて、購入ボタンを押してもらえるかどうか。そう考えがちではないでしょうか。

ネット広告とこれまでのマス広告は、根本的にちがっていたんじゃないか。それに気づいたのは、JIAA(日本インタラクティブ広告協会)が先日発行した「ネイティブ広告ハンドブック」を読んだ時でした。

この図は、ネイティブ広告ハンドブックP32の「図3」です。ぜひ全体をダウンロードして紙で見てほしいところです。(→ネイティブ広告ハンドブック2017

この図はつまり、「従来のネット広告は、すでに購買意向が高い人にターゲティングして表示するものでしたね」と言っています。そうですよね?まあ、ターゲティングできない表示もあるでしょうけど、できるだけ対象を絞り込む。ターゲティングのやり方がアドテクと呼ばれるもののほとんどだと思います。「購買意向が高い人に表示するのでネット広告は効率がいい」と捉えられていた。そして実際そうなのでしょう。

ほぼそこにネット広告の論理はあったため、何がなんでも「ターゲティングする→広告を表示する」だった。実際には、例えば私がAという車にとって格好のターゲットだったとしても、Aという車の広告をいつでも見たいわけじゃないんですよね。そもそも「いまこの瞬間のおれは広告を見たいわけではない」という時だってあるんです。それなのに、「ターゲティングして広告を見せてるんですけど何か?だってあんた、このクルマがほしい人でしょ?」と、しれっとやってのける。ネット広告ってそんな感じじゃないですか?

無神経なんですよ、簡単に言うと。ネット広告って無神経。それが、スマホの中の動画広告だと露呈しちゃうんです。無神経さが、むき出しになる。私はここがネット広告のターニングポイントで、根本的な姿勢を見直す時だと思うなあ。

見直すヒントが、『逃げ恥』にとっての恋ダンスにあるんじゃないかと思うわけです。

ネイティブ広告ハンドブックにはもうひとつ、紹介したい箇所があります。

次ページ 「ネイティブ広告が新たな役割を担う」へ続く