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マーケティング視点でLGBTを考えるとき、最もとっつきやすいのはLGBTの人々を消費ターゲットとして捉えることだろう。人口減少・高齢化・低成長・格差拡大などの社会問題を背景に日本国内の消費環境は大変に厳しいが、LGBTの人口割合は既に約一割。しかも最近のオネエタレントの活躍などを受けてか、存在感を急速に増してきているLGBTを新しい消費者セグメントとして捉える流れは至極当然と言えよう。
電通「LGBT調査2015」では、LGBTを含む性的マイノリティ全体の消費を約6兆円と推計しており、これはデパート業界や広告業界の売上高とほぼ同等で、かなりの規模感だ。また品目別にみると家電、インテリア、化粧品、カルチャー活動などで特に消費が活発だという。こんなデータを目の前にチラつかされては、「有望ターゲットとしてLGBTを狙え!」と息巻くビジネスパーソンが増えても不思議ではない。
そして、その動きを後押ししているのが、いわゆる同性愛者富裕層説だ。時折、ビジネス誌で「同性愛者に高学歴・高所得の人が多い」という主張が展開されているが、このような通説が熱気に拍車をかけている。たしかに今の世間に「お金持ちそうな同性愛者が社会的に目立っているから」というイメージが存在していることは否定できまい。バラエティ番組等で目立つオネエタレントたちしかり。また、バイセクシュアルだと公表しているレディ・ガガをはじめとして、同性愛を公言している著名な芸能人やスポーツ選手、IT系や美容系のカリスマ経営者などに枚挙の暇がない。
加えて、アップル社CEOのティム・クック氏が同性愛者だとカミングアウトした影響も小さくないだろう。彼は同性愛を公言した最初の全米主要500社トップとして歴史に名を刻んだが、今後は同様の大物経営者が続出しても誰も驚くまい。2013年米国版国勢調査によると、同性婚世帯の平均年収が異性婚世帯の約2倍にも達していたという結果もある。
ただし私自身は、同性愛者富裕層説を素直に信じる気にはとてもなれない。前記の米国版国勢調査でも言えることだが、統計分析では一見すると相関があるように見えて実は無関係だったなんてこともしばしば起きるし、そもそも同性愛者に対する差別を避けようと自分の立場を偽って調査に応じている人も相当数いるはずで、ならばその信憑性がそもそも疑わしい。ようするに、カミングアウトしても収入や生活が脅かされない人だけが、調査に加わっているだけの可能性があるのだ。
しかも同性愛者富裕層説を真っ向から否定する統計調査も存在する。カナダのマギル大学(McGill University)が同国の2006年センサスを分析したところ、平均収入額は「一般男性>同性愛男性>同性愛女性>一般女性」(※1)の順だったし、ほかにもそれとまったく同じ結論の調査結果がオーストラリアでも発表されている(※2)。女性に限れば確かに同性愛者の所得が高いという結果だが、おそらく一般女性が出産育児中に収入が一時的に減少するだけの話であろう。このように同性愛者富裕説ははなはだ曖昧で、「信じるかどうかは貴方次第です」程度のマーケティング界の都市伝説とは言えまいか。
そして、6兆円という数字ばかりに注目しがちだが、「LGBTの消費規模」と「LGBTの市場規模」とは意味がまったく異なることにも注意が必要だ。日常生活での消費に関して、LGBTと非LGBTの間で大きな差があるわけではない。いや、ほぼ同じで変わらないだろう。LGBTだって普通の生活者なのだ。それなのに「LGBTの消費ニーズは特殊だ、理解せよ」と主張する様はとても滑稽に感じる。
そう考えると、LGBTの消費規模は6兆円だとしても、LGBTであることに起因した消費額は数百億円程度(6兆円の1%だとして600億円)に限定されよう。本音を言えばもっと少ないと考えている。しかも「○○を狙え」的なマーケティングが上手くいった事例はほとんどない。当の本人たちにしてみれば、「食い物にされる」と忌避したくなるだろうし、カミングアウトしていない人たちからしてみたら、余計に避けてしまう。これがLGBT当人を消費ターゲットにする、そしてビジネス記事等でよく散見するLGBTマーケティングの実態なのではなかろうか。
ただし、LGBTに嫌われた場合は、この6兆円消費へのアクセスを一気に失う危険性には十分に留意されたい。しかも、さらに大勢のLGBT支援者からも嫌われるために、その喪失規模は数十兆円にも達しよう。突き詰めれば、LGBTマーケティングの要諦とは「LGBTを狙え」ではなく、「LGBTから嫌われない」、つまりは「顧客にLGBTもいるかもしれないので、そういった人たちにも配慮しておく」ことだと私は考える。
四元正弘(よつもと・まさひろ)
四元マーケティングデザイン研究室代表 元・電通総研・研究主席
1960年神奈川県生まれ。東京大学工学部卒業。サントリーでワイン・プラント設計に従事したのちに、87年に電通総研に転籍。のちに電通に転籍。メディアビジネスの調査研究やコンサルティング、消費者心理分析に従事する傍らで筑波大学大学院客員准教授も兼任。2013年3月に電通を退職し独立、現在は四元マーケティングデザイン研究室代表を務め、21あおもり産業総合支援センターコーディネーターも兼職する。
本書は、LGBTの当事者や企業戦略担当など、ダイバーシティの現場にいる人への取材を通して、「イノベーションにつながるダイバーシティ戦略」や「性的マイノリティの視点」を取り込むことで生まれる新しい企業戦略、マーケティングについてまとめた書籍です。ダイバーシティ経営の実践こそが、企業価値を向上させる本当のマーケティングになっていく時代の1冊です。
【目次】
はじめに ドラッカーで考えるマーケティングの基本と本質
第1章 ダイバーシティとはなにか
第2章 性的マイノリティ差別の背景と転換点
第3章 市民・政治の両面で進む性的マイノリティ支援の動き
第4章 LGBTマーケティング1 ~LGBT当人を顧客に想定するケース
第5章 LGBTマーケティング2 ~LGBTを社会運動のテーマとするケース
第6章 性的マイノリティとイノベーション経営
第7章 当事者から見たダイバーシティ・マーケティング参入の注意点
第8章 LGBT視点のマーケティング事例
第9章 改めて考える「ダイバーシティに企業やビジネスはどう向き合うか?」