連載12回目を迎えた本稿では、いよいよ「広告の終わり」について考えてみなければならない。
というのも、つい最近、私たちは2つの刺激的な論に出会ったからだ。
ひとつは、ご存じ田端信太郎氏による「
オーケー、認めよう。広告はもはや「嫌われもの」なのだ — LINE 田端信太郎
」だ。
図 1 「オーケー、認めよう。広告はもはや『嫌われもの』なのだ — LINE 田端信太郎」
もうひとつの論は、米国の調査会社Forrester Researchが公開したレポート「
The End Of Advertising As We Know It(私たちが広告として知っているものの終えん)
」だ。同レポートは有料であるため、概要を知るにはLaurie Sullivan氏「The End Of Advertising」を参照するのも良いだろう。
これらの論は、いずれも私たちが所与としてきた「広告」という存在を疑うべき段階に入ったことを伝えている。
「嫌われもの」とは何か
まず、田端氏の論に触れておこう。ポイントは広告というものが、商業コンテンツの中心に座り続けることで消費者にとって重要であった時代が終わり、その意義が疑われるようになった。これが広告が「嫌われもの」へと転落する、言い換えれば「広告の終わり」という事態を引き寄せる動因だとする。
では、何が変わったというのか?
商業コンテンツ以上に重要な「自分の親しい友人や知人、彼氏彼女」との会話というコンテンツが、消費者の眼前に誕生したからだ。それが広告と親和性の高い商業コンテンツにとって、最大のライバルになったというわけだ。
KAIGI IDにログインすると、すべての記事が無料で読み放題となります。
「AdverTimes. (アドタイ)」の記事はすべて無料です
会員登録により、興味に合った記事や情報をお届けします
藤村 厚夫(スマートニュース)
90年代を、アスキー(当時)で書籍および雑誌編集者、および日本アイ・ビー・エムでコラボレーションソフトウェアのマーケティング責任者として過ごす。
2000年に技術者向けオンラインメディア「@IT」を立ち上げるべく、アットマーク・アイティを創業。2005年に合併を通じてアイティメディアの代表取締役会長として、2000年代をデジタルメディアの経営者として過ごす。
2011年に同社退任以後は、モバイルテクノロジーを軸とするデジタルメディア基盤技術と新たなメディアビジネスのあり方を模索中。2013年より現職にて「SmartNews(スマートニュース)」のメディア事業開発を担当。
90年代を、アスキー(当時)で書籍および雑誌編集者、および日本アイ・ビー・エムでコラボレーションソフトウェアのマーケティング責任者として過ごす。
2000年に技術者向けオンラインメディア「@IT」を立ち上げるべく、アットマーク・アイティを創業。2005年に合併を通じてアイティメディアの代表取締役会長として、2000年代をデジタルメディアの経営者として過ごす。
2011年に同社退任以後は、モバイルテクノロジーを軸とするデジタルメディア基盤技術と新たなメディアビジネスのあり方を模索中。2013年より現職にて「SmartNews(スマートニュース)」のメディア事業開発を担当。
この記事の感想を
教えて下さい。
この記事の感想を教えて下さい。