日本の広告界を代表する210名のアドバイザーが参画をし、いま日本の広告界が議論するテーマを持ち寄り、企画される「Advertising Week Asia」。そのアドバイザリーボードのメンバーたちが今、日本の広告界が向き合う課題、そして希望についてリレー形式で語っていく。
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平成に見た進化 センスからデータへ

【執筆者】
マッキャン・ワールドグループ ホールディングス
チーフ クライアント オフィサー
アントニー・カンディー
日本在住が長く、東京大学大学院卒業後、2000年に博報堂リンタスに入社、ユニリーバ、ネスレ、ジョンソン・エンド・ジョンソン、GM等のブランドを担当。その後、DDBで日本オフィスのジェネラル・マネージャーとしてフォルクス・ワーゲン、フィリップスなどのブランドに携さわり、DDBヨーロッパにてマクドナルドのヨーロッパ全体のストラテジーとアカウント・サービス担当。2010年に日本戻り、ビーコンコミュニケーションズのエグゼクティブビジネス&ストラテジーディレクターを経て、2014年にワンダーマン インターナショナルの代表取締役社長。現在は、マッキャン・ワールドグループのクライアントに対して的確で効率的なソリューションの提供を指揮。
平成の広告界を振り返る
私が日本に住み始めたのは、平成7年(1995)6月なので、平成という時代を振り返ると言っても一部しか語ることができませんが、社会的にも業界的にも大きな変化を遂げた31年でした。20年間、日本の大企業の影で戦う外資系広告会社または日本の広告会社との合弁会社での勤務を経験し、その観点から書かせていただきます。
余談ですが、平成11年、東京大学大学院で私が書いた論文は、カルロス・ゴーン氏の欧米型経営と日本型経営の比較についてでした。私にとって平成は、予測不能な終わり方であったと感じています。
平成は、時とともに身の回りのテクノロジーが変化した時代でありましたが、私にとって一番大きな変化は社会の細分化です。これによって、我々の業界のメディアやマーケティング戦略が大きく変わりました。かつての経済成長期において、日本の社会全般の生活の質は豊かになりました。団塊世代や集団旅行はその代表的なものであると思っています。その頃は、平和と平等を表した「平」社会だったと思っています。
さて、私の経験した平成前半には、メディアのチャネルも限られて、キャッチフレーズや誰もが知っている音楽はラジオとテレビから伝えられていました。今でも当時のテレビCMの音楽と歌を思い出すことができます。しかし、IT革命によって情報源は想像がつかないほど拡大されました。これによって、私たちの業界は文化をつくる立場から消費者をフォローする立場になりました。