日曜の夜、いまでも自分がどうしてここにいるのか、どこへ行くのか、不安と高揚の間で感傷的な気分になることが、よくあります。
多くの読者の方々、はじめまして。米・ロサンゼルスと東京を拠点としたクリエイティブスタジオ「Death of Bad」でパートナー兼クリエイティブディレクターをしている、曽原剛です。
このコラムでは、日本と米国・グローバルの広告クリエイティブビジネスの最前線の現場で経験してきたことをもとに、ひとりのクリエイティブディレクターとしての現場の声をざっくばらんに伝えていきたいと思います。
コラムのメインタイトルを「ロサンゼルスの現場から。」としましたが、海外のマーケティングトレンドを紹介したり、学術的にグローバルマーケティングに関するトピックを取り上げたりするのではなく、あくまで“現場”の声をお伝えしていきます。
初回は、自己紹介として、そもそも英語もろくに話せなかった“超ドメスティックな”コピーライターの私がどうしていまでは複数言語を使いこなし、太平洋を股にかけて仕事をする(なんだか、カッコよく聞こえる!)ことになったのかをお話しましょう。
運も実力のうち。もしくは、努力とリスクが運を呼ぶ
1999年、私はごく普通に日本の大学を卒業し(帰国子女ではありません!)、コピーライターとして博報堂に入社しました。その後7年間は、頑張って仕事をし、それなりに評価され、「そろそろCDになれるかな」と思っていた矢先の2006年、会社から突然、業務提携先のTBWA\Chiat\Dayへの出向を言い渡されました。