こんな時でも、こんな時だからこそ 僕らのモチベーションをあげてくれる広告たち

【前回コラム】「「コロナは、あっという間に、すべてに感染した」絶望の中、ココロを灯す広告を」はこちら前回のコラム

では、新型コロナウイルスのパンデミックが、ここアメリカではどのように広がっていったのかを振り返りつつ、その間にブランドのコミュニケーションはどう変化していったかをまとめてみました。まだまだ現在進行形で、状況は日々刻々と変化。世間の関心事も徐々に「ウィズコロナ」など、ポストコロナの世界観にも言及され始めていますが、それについては、また別の機会にまとめていきたいと思います。

今回のコラムは、コロナに関してはちょっと閑話休題。読者の方々もコロナ疲れ、自粛疲れが溜まってきたことでしょう。ですので今日は、ここ1年ほどの間で、こちらアメリカで話題になったキャンペーンや目立った広告について、楽しく語りたいと思います!

広告は、こんな時でも、こんな時だからこそ僕らのモチベーションをあげてくれる。©︎123RF

ライアン・レイノルズから目が離せない

大きなエージェンシーで名をあげたクリエイティブが、自分たちの会社をつくっていく。それがいままでは主流のクリエイティブブティックの誕生の仕方だったと思います。しかし、ここ数年の間で、その流れも変化してきました。

というのも、メディア会社やPR会社から生まれるもの、ソーシャルメディアやインフルエンサーサイドから発展するものなどさまざまな背景を持った組織や人々から、クリエイティブディレクターやクリエイティブブティックが誕生するようになったのです。その中でも、ある意味アメリカ独特なものとして、セレブリティから生まれるクリエイティブブティックの存在があると思います。

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曽原 剛(Death of Bad)
曽原 剛(Death of Bad)

1999年博報堂入社。コピーライターとして7年間在籍したのち、2006年にロサンゼルスのTBWAに移籍。Appleや日産など数多くの有名企業のクリエイティブを手掛けた。その後、2014年に日本に帰国し、J. Walter Thompson Japan のエグゼクティブ クリエイティブ ディレクターに就任。2018年には、ロサンゼルスのTBWA\Media Arts Lab時代の同僚、ジョン・ランカリック氏と共同でクリエイティブスタジオ「Death of Bad」を立ち上げた。

曽原 剛(Death of Bad)

1999年博報堂入社。コピーライターとして7年間在籍したのち、2006年にロサンゼルスのTBWAに移籍。Appleや日産など数多くの有名企業のクリエイティブを手掛けた。その後、2014年に日本に帰国し、J. Walter Thompson Japan のエグゼクティブ クリエイティブ ディレクターに就任。2018年には、ロサンゼルスのTBWA\Media Arts Lab時代の同僚、ジョン・ランカリック氏と共同でクリエイティブスタジオ「Death of Bad」を立ち上げた。

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「ロサンゼルスの現場から。~日本語しかできなかったコピーライターが、気付いたら、LAでクリエイティブスタジオを設立していた話~」バックナンバー

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