「石の声」。
沖縄出身の、もうかれこれ15年以上一緒に教育プロジェクトをやっている仲間、舘林恵が教えてくれた伝説の授業の名前である。曰く、
「沖縄戦で亡くなったとされる236,095人と同じ数の石に、1~236,095まで番号をひとつずつ書いて積み上げていく。ただそれだけ。
何の意味があるんだろうって、最初は思ってたんです。それが書き続けるうちに、ただの石ころが、骨に、命に、途絶えた未来の数に見えてきて。気付くと泣きながら書いてましたね。数日間かけて、やっとみんなで書き終えた時、小さな石は大きな山になってて。今まで公式を覚えるように暗記していた『23万人以上の戦没者』の途方もない数に、ただただ圧倒されてました。『以上』とか『約』で大まかになんてくくれない命の数だったんだって、初めて理解できた気がしたんです」
その伝説のワークショップをされた、伝説の金城満先生をZoomで紹介してもらった。
倉成
「伝説の授業教えて、って言ったら、すぐ石の声!って言ったよね」
舘林
「問いを持ち続けざるを得ない強烈な体験。あの場所とか暑さも含めて、今でも体と心で覚えてるワークショップっていうのは後にも先にもない」
倉
「先生は、なぜ石の声を始められたんですか?」
金城
「実際には、これを行った佐喜眞美術館っていう場所の記憶というかね、必然性というか。
全然違う用事で行ったら、この空間で何かしたいなと思うようになって、館長と会った時にパッと通じたんですよ。『頭にきますよね、最近』っていう話からね」
舘
「その最近って、何があった時ですか?」
金
「その時が1996年で、前年の1995年が宜野湾の県民集会(米兵暴行事件糾弾県民総決起大会)ですよね。大田(昌秀)知事がキレまくって、米軍基地用地の強制使用手続きの代理署名を拒否した頃。
それで、頭にきますねって話をして、この状況にウチナンチュ(沖縄の人)は怒ってるということを、表現すべきじゃないかと言ったら、やりましょう!と、トントンと話が進んで。

