「ディーゼル車にガソリン」「ぶどう酒と革袋」の例え話
【前回のコラム】
創業108年の老舗出版社を「卒業」、10年目のスタートアップに「ジョイン」した
真っ赤なマツダ・アテンザ。それが私の愛車である。いかにも広島出身者らしい、とよく言われるが、今回のテーマはそこではない。重要なのは、この車がディーゼル車であるという点だ。
赤いマツダ車と広島の関連性にも、車のエンジンの種類にも興味ないという方のために一応説明すると、ディーゼルエンジンというのは軽油を燃料としている。通常のガソリンを入れても動かない。逆も然りで、ガソリン車に軽油を入れてはいけない。
これは組織と人の関係に似ている。デジタル文化の電気自動車のような組織に、旧来型のガソリンおじさん(文字通り「化石」燃料)を放り込んでも使い物にならない。せいぜいハイブリッド車ならどうにかなるかもしれない。同様に化石燃料でしか動かない機関に、「時代の先端は水素だぜ」と未来の燃料をぶちこんでも、お互いに不幸な結果をもたらすだけだ。
やっかいなのは、見た目はどれも同じような車のかたちをしていること。会社も同様で、どの会社も基本的には同じ形態をしている。なのに、内部の文化や、求められる行動様式はまるで違う。だからまるっきりの異分子を入れてしまうと、機能しないか、下手をすると両方が壊れてしまうのである。
……と、組織の人に関する問題を例え話で上手く説明して悦に入っていたところ、同じことを2000年前にも言っていた人がいたことに気づいた。
「新しいぶどう酒を古い革袋に入れてはならない」と、かのイエス・キリストが聖書の中で言っているのだ(新約聖書「ルカによる福音書」5章)。これ、同じ意味だな、と。若いぶどう酒を古い革袋に入れると、その発酵力によって古ぼけたボロボロの袋くらい簡単に破いてしまう。だから、新しいぶどう酒は新しい革袋に入れなさいよ、とイエスは説いている。
この例え話には、当時のユダヤ教社会の中で、イエスの教えはまさに新しい価値観の提示だったという背景があるのだが、それはひとまず措いておいて、これを人と組織の話に置き換えると、発酵力とはすなわち生命力であり、若く健やかな生命力を受け止めるには相応の受け皿が必要となると読み替えることができる。だからしばしば、「ビジネスことわざ」として用いられるのだろう。
