スタートアップに飛び込んだ私は、60歳までに「100万人に1人」になれるか

私の心をざわつかせる若手社員

TBMの同僚に、顔を見るたび、私の心をざわつかせる男がいる。わが子であってもおかしくないくらいの若い社員だ。彼が何かしたわけではない。非常に礼儀正しく、快活な好青年である。

ただ、私の中高時代の友人に顔がそっくりなのだ。その旧友の名前を仮にQとしよう。

Qはとてつもない読書家で、しかも時事問題や文学などにも精通し、知識量で私を圧倒する存在だった。家の方向が同じだったので、一緒に登下校する仲でもあった。

高校2年の頃だっただろうか。Qの家に遊びに行ったことがある。自分は将来、一体何者になれるのか、根拠のない自信と漠然とした不安が同居し、毎日心がフラフラしていた時期である。将来の夢など、恥ずかしくて友人に話すことなどまずなかったが、その日はどういう流れだったのか、私はQに「将来は、出版社で働きたいんだよね」と明かした。

するとQは、間髪入れず「出版社? お前なんて無理に決まってんじゃん」と返した。ショックでその後のことは覚えていない。話したことを後悔した。こんなに読書家で物知りのQが言うのだから、本当に無理なのかもしれないと落ち込んだのだけは覚えている。

ちなみに高3の夏休みまで、私はQと同じ国立大学を目指していて、予備校の志望校別の夏期講習にも共に通った。しかし、夏休みが明けた時点で私は力不足を自覚し、姉妹校である私立大への推薦入学枠に逃げた。一方Qは、悠々とその国立大に現役合格した。あらゆる意味で、私の自信をへし折ってきた存在なのである。

もっとも、その後はお互いに別々の道を歩み、高校卒業後は一、二度しか会っていない。私は、無理だと言われた出版業界で働くこともでき、そんなコンプレックスなど吹き飛んでいたはずだった。

ところが今回の転職によって、例の同僚を見るたびQのことを思い出す羽目になった。しかも、若い頃のQの顔だから始末が悪い。「お前、ここでやっていけんの?」と今にも声を掛けられそうで、果たして自分は世の中から必要とされる存在になれるのか、不安で仕方がなかった当時を思い出してしまうのである。当然、そんな話はその同僚にはもちろん、誰にもしたことがない。ざわつく心の中は決して表に出さないよう、気を付けている。

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深澤 献(TBM ブランド&コミュニケーションセンター長)
深澤 献(TBM ブランド&コミュニケーションセンター長)

ふかさわ・けん/広島県出身。株式会社TBMのブランド&コミュニケーションセンター長。1989年ダイヤモンド社入社。『週刊ダイヤモンド』でソフトウェア、流通・小売り、通信・IT業界などの担当記者を経て、2002年10月より副編集長。16年4月よりダイヤモンド・オンライン(DOL)編集長。17年4月よりDOL編集長との兼任で週刊ダイヤモンド編集長。19年4月よりサブスクリプション事業や論説委員などを経て、22年2月に新素材スタートアップのTBMに転じる。著書に『そごう 壊れた百貨店』『沸騰する中国』(いずれもダイヤモンド社刊・共著)など。趣味はマラソン。

深澤 献(TBM ブランド&コミュニケーションセンター長)

ふかさわ・けん/広島県出身。株式会社TBMのブランド&コミュニケーションセンター長。1989年ダイヤモンド社入社。『週刊ダイヤモンド』でソフトウェア、流通・小売り、通信・IT業界などの担当記者を経て、2002年10月より副編集長。16年4月よりダイヤモンド・オンライン(DOL)編集長。17年4月よりDOL編集長との兼任で週刊ダイヤモンド編集長。19年4月よりサブスクリプション事業や論説委員などを経て、22年2月に新素材スタートアップのTBMに転じる。著書に『そごう 壊れた百貨店』『沸騰する中国』(いずれもダイヤモンド社刊・共著)など。趣味はマラソン。

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