この仕事には、ギャグになるほどカタカナが登場します。ターゲット、ローンチ、ストラテジー、ゲリラアド…しかも戦争ジャーゴン(Jargon:専門用語)ばかりでうんざりします。おそらくマーケットや生活者を奪い合う経済戦争の中枢機能を担っているせいかもしれません。
さらに日本にはカタカナ英語があって、英語本来の意味なのか、カタカナ特有の意味に変化してしまったのか、その見極めも難しい。ラーメンと聞いて全員の好みが違うように、カタカナ英語の解釈にも各人独自のテイストが入っているかもしれません。同じ言葉でも、中味が違う。普段使って分かっているつもりのシンプルな言葉が、実は曲者です。
随分前のこと。ある飲料のキャンペーン企画中に、「コンセプトを決めてから、企画するんですね」とCMプランナーが呟きました。「え、違うの?」即座に問い返すと、「茶の間のブラウン管(←当時は)に何が映ったらインパクトがあるか?真っ黒なTV画面と睨めっこしたりしますよ」との回答。コンセプトどころかペルソナさえ見えてないし、日頃から常にアンテナを立ててなければ何も映らない…インパクトって何だろう?と考えさせられる出来事でした。
クリエイティブの仕事は、CDのディレクションから始まります。アイディアを卵に例えて、「とにかく大きな卵を産んでくれ。場所はどこでもいいから」というタイプと、「小さくていいからここに産んで。どんなに大きくても場違いだと育たないから」というタイプ。前者はインパクト重視で、後者はコンセプト重視でしょうか。彼に依頼したCDは前者タイプが多く、彼に驚かれた私は後者タイプかもしれません。そして前者の考え方には、マスメディア全盛期にエンターテインメントの立役者だったTVメディアが大きく影響を与えているように思います。
「何が映れば驚くか?」という企画の入り方は、まさにメディアありきの日本独自の作法だと思います。このメディア至上主義がクリエイターにも入り込んで、漠としたインパクト探しの旅を強いていたのかもしれません。彼にとって「インパクト」と「面白い」は、ほぼ同義語でしょう。そして今、この「何を映せば」の考えは、YouTuberたちに受け継がれているのかも、と思ったりします。インパクトとは、暗中模索した末にブラウン管(→今はスマホ)に映し出される「誰もが驚くようなビジュアル」を指しています。未だに「インパクトが足りない」という一言で刺激的なビジュアルを求めてPC画面と向き合うのは、睨めっこの名残りかもしれません。