・創業108年の老舗出版社を「卒業」、10年目のスタートアップに「ジョイン」した
・50代半ばで出版社からベンチャーに転職した「ガソリンおじさん」の提供価値
・メディアから企業広報に転じて3カ月「取材される側」となり思うこと
・「編集者のスキルは事業会社で活きるのか?」という、問いへの答え
・スタートアップに飛び込んだ私は、60歳までに「100万人に1人」になれるか
・社員にとって最大の不幸は「企業理念に共感できない」会社に勤めること
・「破り捨てたいのに絶対に破れない馬券」というアイデアのカラクリ
・取材費で飲み食いしていた私が、会社帰りに日比谷図書館へ通う理由
TBM初取材で驚いた野田一夫顧問の存在
30年以上に及ぶ経済記者の経験の中で、大企業からスタートアップまで数え切れないほどの企業を取材してきた。その中で特にTBMに興味を持ち、50代半ばにして入社に至ったのはなぜか。どんなところに魅力を感じたのかと聞かれることが多い。
あと、「よくスタートアップ経営者にインタビューしてたけど、あれって転職先探しでやってたんですか」とも言われる。いや、最初から取材先をそんな下心で見ることなんてことは断じてなかった。
以前にも書いたように、TBMを初めて取材したのは2016年4月のことだった。当時は宮城県白石市に第一工場ができたばかりで、LIMEXは名刺くらいしか商品化されていなかったが、この技術に大いなる可能性を感じた。
ただ、それだけではない。私はその日、TBMに日本を代表するある戦後ベンチャーの姿を重ね合わせてしまったのだ。東京通信工業。今のソニーである。
取材の中で、TBMの最高顧問に野田一夫氏が就いていることを聞かされた。野田氏といえば、1956年にピーター・F・ドラッカーを日本に初めて紹介した経営学者であり、日本総合研究所初代所長、ニュービジネス協議会初代理事長、多摩大学初代学長などを歴任した人物。御年95歳でベンチャー企業の育成に力を注ぎ、孫正義や澤田秀雄など名だたるベンチャー経営者が師と仰ぐ“ベンチャーの神様”と呼ばれる存在だ。