青山学院大学の内山隆教授に聞く企画の後篇です。(
を読んでない方はぜひそっちからご覧ください)。
後篇では、そもそも放送と通信の融合はなぜ進まなかったのか。今や通信より不便で不利に思える放送はどうすれば再び力を取り戻せるのか。ただ、聞けば聞くほど、簡単には光が見えないことがわかってきました。5年、いや10年以上かもしれない欧米からの遅れは、取り戻しようがないような…。じっくりお聞きしました。
日本国内の放送の同時配信の議論は、どうして進まなかったのか?
境
:ここからが本題なのですが、テレビ局にとって放送は明らかに行き詰まっています。テレビ受像機で配信サービスが見られるようになっていき、放送を圧迫しています。去年のW杯の時に通感したのが、ABEMAはスマホから始まってテレビでも見られるようになったということ。配信権を獲得すれば、通信でもテレビ受像機で見てもらえる。一方で放送権を獲得したテレビ局はテレビで放送はできるけど、ネットには出せない。配信の方が得なのではないかなと思いました。
テレビとネットがなかなか融合できなかったのは、テレビ局にとっては放送の方が有利で既得権を手放したくなかったのだと思っていましたが、いやいや、もう配信の方が得になっちゃった。テレビ局も放送収入が上がらないのはみんなわかっているわけですが、だったらネットの方で番組を提供しやすくした方がいい。でも、同時配信はやっていても、放送と通信の壁をなくそうとは誰も言わない。
内山
:2016年から総務省での放送の同時配信の議論に関わってきたのですが、いま振り返って思うことは、電通の奥律哉さんが言う「何も足さない何も引かない」論
※
です。同時配信だけ限定的に「放送」扱いにしてしまう選択肢もあったのかもという思いも正直あります。
議論の過程で、当時の欧州に一気に追いつこうと逆に欲張りすぎてしまった。追いかけとか見逃しまで含めて、放送と同等の扱いを求めて議論が錯綜し、権利者団体の方々を強く構えさせることになってしまったのかもしれません。
