「意味」「感性」「共感」が価値を創出する「心の時代」へ
かつての「物」や「機能」が経済の中心を担っていた時代から、「意味」や「感性」、そして「共感」こそが新たな価値を創出する主軸へ。現代は精神的な価値がアセット(資産)となる時代へと移行しつつあります。そうした大きな転換点を象徴する概念こそがSBNRです。本書『SBNRエコノミー』は新しい経済・社会モデルの羅針盤として画期的な挑戦と言える一冊です。
博報堂ストラテジックプラニング局、SIGNING著『SBNRエコノミー「心の豊かさ」の探求から生まれる新たなマーケット』
SBNRとはSpiritual But Not Religious(無宗教型スピリチュアル)の略で、精神的な豊かさや幸せを日々の生活の中で重視する人々を指す。
私が初めて「SBNR」という視座に出会ったのは、10年以上前、米国ロサンゼルスを訪れた際のことでした。南カリフォルニア大学の日本研究所にて、ウィリアム・ダンカン教授からこう語られました。
「渡邉さん、いま米国では “ Spiritual But Not Religious “ 化、つまりSBNR現象が急速に進んでいます。国勢調査ではすでに米国人の30%以上がSBNRに該当し、Z世代に至ってはその割合が83%を超えているという調査もあります。欧州ではもっと大きな社会現象を起こしています。私たち大学関係者の多くは、こうした精神的な価値観の変化こそが、経済や社会を大きく変革するトリガーになると考えています。特に米国など世界的に進展するクールジャパン現象や日本文化への関心の高まりは、その根源をSBNR文脈で読み解くことで深い考察ができるのではないでしょうか」
このダンカン教授との出会いをきっかけに、私はSBNRという視点を軸に、インバウンド戦略や海外における日本文化プロモーションを実践・展開し、その背景にあるメカニズムの研究をして参りました。また内閣府のクールジャパン戦略委員を務めており、政府に対してもSBNRの観点を盛り込んだ政策提言を行ってきました。
ポスト資本主義の時代に待ち望まれる、新たな「精神規範」
「レリジャス(Religious)」という言葉の語源は「レリギオ(Religio)」に由来し、「つながり」を意味します。宗教とは、一般に「経典・聖書」、「創始者・教祖」、「戒律・タブー」という三つの要素を備え、それらを信じて生きることに根ざしています。宗教は社会秩序や倫理観、そして死生観における規範装置として、世界中の文明形成において中心的な役割を果たしてきました。
日本におけるアミニズムや神道はこの3つの要素を備えていないため、厳密にいうと宗教という定義には当てはまらず、むしろ日本的霊性を基軸とした生活様式や価値観と表現をした方が良いといえます。つまり「神(KAMI)」とは「GOD」ではなく、「自然への畏敬の念」を表現した概念であり、本居宣長はこうした考え方を信条として暮らしてゆくことは「惟神の道(かんながらのみち)」であると言い表しています。
ポスト資本主義を迎えた現代においては、宗教的な規範や物質的な豊かさを追い求める経済概念よりも、人々の内面の心の声に応答する新たな精神規範への関心が高まっています。心の空白が世界中に広がるなかで、SBNRという概念は静かに染み込むように広がりつつあります。
本書ではSBNRという精神潮流を、日本という文化的・歴史的背景と接続しながら、マーケティング、経営、地域社会づくりなど多様な領域に応用する視点が提示されています。表層的なスピリチュアリズムや自己啓発とは異なり、「感性資本」や「精神文化のデザイン」という深い次元から人間と経済の未来像を捉えようとしています。
とりわけ印象的なのは、SBNRを「Soul(魂)」「Body(身体)」「Nature(自然)」「Relationship(つながり)」という新たな四つの要素として再定義し、分断された現代人のライフスタイルを統合する感性設計装置として提示している点です。この再定義により、モノやサービスの提供だけでなく、「心」を動かし、「共感」や「つながり」を育むことこそが経済活動の本質であるという新しい見取り図が示されています。
図 SBNR層が大切にする4つの要素「S・B・N・R」
『SBNRエコノミー』より (c)Getty Images
SBNRの先に浮かび上がる「惑星意識」
SBNRは、単なるライフスタイルではありません。それは社会全体の構造的欠損に対する倫理的感性の応答であり、孤独や不安、分断、気候変動、意味の喪失といった現代社会の深層課題に対して、「内なる世界」と「世界とのつながり」を同時に回復させる実践哲学として機能するのです。そしてこの再接続の先に浮かび上がるのが「惑星意識(プラネタリー・コンシャスネス)」という視座です。
今、私たちは宇宙時代の入り口に立っており、オーバービューエフェクト(宇宙からの視点で地球を見る視覚体験によって起こる意識変化)思考で、自己と他者、身体と自然、経済と精神、そして地球と人類の関係性を統合し直す時代に差し掛かっています。SBNRは、その統合を感性ベースで加速化にする装置となりえます。
SBNRの先に浮かび上がるのは、この地球を唯一無二の惑星として捉える「惑星意識」。
この文脈において、日本文化が果たす役割は極めて大きいと考えます。日本に住む私たちは、「惟神の道」の精神に象徴されるように、自然とともにある暮らしを重んじ、生きとし生けるものすべてに魂を見出してきました。人間の行動や社会的規範の根幹にある見えない価値を霊性として据えてきた日本文化は、まさにSBNRと響き合う文明資産だと言えるでしょう。
この霊性は、ナラティブ(物語によって社会的価値を創出する力)や共感経済(感性と関係性を基盤とした経済)、さらに惑星意識といった新たな経済思想と連動することで、世界の思想的・制度的な再設計にも深く関わっていくと確信しています。
こうした思想と実践を統合する未来への設計図が必要な時代に、宗教を超えたSBNRグラビティ領域から新しい精神性を拡張していく。こうした心の声や感性を伝えることで、人が動き、企業が動き、経済が動いていく。つまり、ナラティブ(物語の力)を基盤としたキャピタリズムが展開されていくことになります。
ナラティブは、人や地域、企業が持つ物語を資本として扱い、それを共有・共感・共創のプロセスを通じて社会価値へと転換する、知的かつ文化的資産です。SBNR的感性は、こうした物語を深層から汲み上げ、文化や経済、そして生き方に意味を与える感性のインフラ指標となるでしょう。
私たちは今、見えないものに敬意を払い、つながりを信じる時代の入り口に立っています。時代の変化には羅針盤が必要です。本書を通じて、精神文化と経済活動をつなぎ直すための実践を行い、日本から世界に対して静かで深い革命を起こす時代が始まります。

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『SBNRエコノミー「心の豊かさ」の探求から生まれる新たなマーケット』
株式会社博報堂ストラテジックプラニング局、株式会社SIGNING著/定価:2,200円
SBNR層の拡大に注目し、精神的な豊かさや幸せを求める同層の拡大の理由、そしてビジネスへの応用可能性を論じる日本初の書籍です。日本人は43%がSBNRに該当すると言われ、その価値観を理解することはマーケティングや経営にも有効です。本書では、彼らの価値観やライフスタイルを分析するとともに、マーケティング・組織デザインにSBNRの考え方を応用していく具体的な方法を提案します。