任天堂ハード史上最長の優良機「Nintendo Switch」
いよいよだ。発売前からSNS上で予約当選、落選といった悲喜交々の話題を呼び、争奪戦が繰り広げられた「Nintendo Switch 2」(以下、スイッチ2)が2025年6月5日に販売開始となった。
「Nintendo Switch」(以下、スイッチ)が発売されたのは、2017年3月。ゲームハードは一般的に約6年前後のサイクルで新旧世代交代していくのがゲーム業界の商慣行だが、「スイッチ2」は発売から約8年に渡る長い期間、人々に遊ばれ続けた優良機であった。任天堂のゲームハードの歴史から振り返ると、1983年7月に生まれた「ファミリーコンピュータ」に代わって「スーパーファミコン」が誕生する1990年11月までの期間、約7年がこれまでの最長記録。この記録を更新した「スイッチ」がいかに世界中の、多くの人々に愛された機種だったかがわかるだろう。だからこそ任天堂が自社配信する「Nintendo Direct」にて、2025年4月2日に「スイッチ2」の発売が発表された直後から、ここまで大きな話題になったのである。
Nintendo Switch 2に潜む「枯れた技術の水平思考」
それでは「スイッチ2」はどのように進化したのだろうか? 「スイッチ」に比べ、大幅にコンピューターの処理速度がパワーアップ。高画質ディスプレイ、高音質スピーカー、USB-C端子増設、大容量ストレージが追加されている。さらに特筆すべき新機能として、(1)ボイスチャット、(2)おすそわけ通信、(3)マウス操作対応が用意された。
「スイッチ2」の開発について、担当した任天堂の技術者たちのインタビューが公式サイトに掲載されているのだが、「枯れた技術の水平思考」という言葉が出てくるのに注目しておきたい。
━━重要な要素というと、今回Joy-Con 2 はマウスとしても使用できるんですよね。この機能も以前からアイデアとして温められていたのでしょうか。
河本:初期の企画にはなかったのですが、
PCゲームをマウスで遊んでいた時に
ひょっとして、Joy-Conもマウスになれるんじゃないかと
ひらめいたんです。
もともとSwitch 2 はコンピューターの処理速度を良くすることで
幅広いソフトを遊べるようにしようとしているわけで、
それならマウス操作が必要な面白いソフトも遊べた方が良いじゃないですか。
世の中で広く使われているマウス操作をJoy-Conで実現するのは
そこまでコストがかかるものではないですし、
それこそ「枯れた技術の水平思考」※14かな、と。
すごく良いアイデアだと思って、技術開発部に提案したら・・・
「私たちもそれ、昔から考えていましたよ」って(笑)。
※14 電子玩具や「ゲーム&ウオッチ」、「ゲームボーイ」の開発を手がけた元任天堂開発第一部部長の横井軍平が提唱した開発思想。最先端ではないが世の中で広く使われている技術を新しい別の用途で使うことで、新たなヒット商品が生み出せるのではないかという考えかた。その後の任天堂のものづくりに影響を与えた。
任天堂公式サイト「Nintendo Switch 2:開発者インタビュー引用
注記にも解説があるが、「ゲーム&ウオッチ」(1980)、「ゲームボーイ」(1989)の開発を手がけた元任天堂開発第一部部長の横井軍平が提唱した開発思想が「枯れた技術の水平思考」であり、「スイッチ2」のプロデューサーを担当している企画制作部の河本さんは、今回新たに作り直した「Joy-Con 2」に搭載したマウス機能において、横井の思想から着想を得て、搭載したことを話しているのである。
「枯れた技術の水平思考」とは2つの言葉に分けることができる。1つは「枯れた技術」。「枯れた技術」とは、横井の言葉を借りれば「すでに広く使用されてメリット・デメリットが明らかになっている技術」のことで、コストも安価(=枯れた)になったタイミングのことを意味している。そして「水平思考」とは、その技術が主に利用されているジャンルから離れ、まったく異なるジャンルに置き換え、あたらしい価値を作るという考え方(=水平思考)である。要はPCに主に使われている枯れた技術であるマウスを、ゲームコントローラーに水平思考したというわけだ。
ゲームの父・横井軍平
さて、いまでは「ゲームの父」とも呼ばれている横井軍平とはどのような人物なのであろうか?
当時花札やトランプゲームなどを販売していた任天堂に1965年に入社した横井は、当初、会社の電気設備機器の保守点検の仕事を任されていた。だがあまりにも暇で、おもちゃを自作してサボりはじめる。ところがその才能に目をつけたのが当時の社長・山内溥だった。すぐさま「商品化しろ」と命令したことから彼の運命は大きく変わってしまう。次々とおもちゃを開発、ヒットを飛ばし続けてしまうのだ。
彼の代表的な作品に、任天堂をはじめてゲーム会社として飛躍させた「ゲームウォッチ」がある。新幹線の中でサラリーマンが退屈凌ぎに電卓を叩いて計算して遊んでいる姿を見て、「あ。暇つぶしのできる小さなゲーム機はどうだろうか」と横井は閃いたのだ。そして偶然にも、当時液晶の使い道は電卓以外に存在せず、電卓の需要も落ちる一方だった。この時、「枯れた技術」である液晶を、電卓ではなくゲームにスライド利用(水平思考)することをはじめて実践、形にして記録的な大ヒットを生み出した。このノウハウが以降の大ヒットへと続く「ゲームボーイ」にも継承され、任天堂にいまなお脈々と受け継がれている開発思想へとつながっているのだ。
そんな横井軍平の思想が「スイッチ2」にどのように受け継がれているのか? 次の記事(6月12日公開予定)では気になる部分を細かく検証していきたい。
※横井の言葉の引用は『横井軍平のゲーム館 RETURNS』(フィルムアート社)、『決定版・ゲームの神様 横井軍平のことば 』(P-Vine Books)より
