本コラム第4回で、フランクリン・ルーズベルト大統領の政治顧問を務めた
を紹介しました。今回は、ジョン・F・ケネディ(JFK)大統領からホワイトハウス報道官に任命され、広報担当の枠を超えてJFKの専任メディア戦略アドバイザーとしての役割を果たした、ピエール・サリンジャーを紹介します。
JFKの広報戦略は「テレビとイメージを中心に据えた近代政治広報」の原型として、現代政治コミュニケーションに多大な影響を及ぼしました。サリンジャーは、報道部門の中核スタッフとして、その企画実践に手腕を振るいました。
「ホワイトハウスがメディア戦略をもって国家運営にあたる」体制を確立
サリンジャーは、1959年にJFKが上院議員だった時に彼のスピーチの草稿作成などを通じて関係が始まりました。1960年の大統領選挙では広報担当としてケネディ陣営を支え、メディア戦略の構築に貢献したことから、1961年~1964年にホワイトハウス報道官、のちに在仏アメリカ大使館の首席公使、ジャーナリストや著述家として活動しました。
JFKは、サリンジャーを「報道官以上の存在」とみなし、しばしば私的な相談役としても頼りにしていました。
では、サリンジャーが果たした役割を具体的に検証する前に、JFK政権の広報体制はどのようなものだったか、私なりに整理しておきたいと思います。
まず、
「専門的な広報・報道チームを常設」
したという点が特徴的です。それまでのホワイトハウス広報は「記者対応」「声明発表」にとどまっていましたが、JFK政権では戦略的にメッセージを発信するための広報専門チームとして整備しました。大統領直属で、「メディア戦略を立案・実行する専任部隊」が組織され、毎日、メディアモニタリング、メッセージ管理、記者とのリレーション管理を実施しました。
次に、テレビを意識した
JFKの「ビジュアル」を、徹底的に管理した
ことです。JFK政権では、すべての公式行事・会見をテレビ映えするように設計しました。たとえば、プレスカンファレンスは可能な限りテレビ中継し、国民に直接メッセージを届けました。
