JFKのイメージを国民に伝える「演出家」―ケネディ政権下で報道官を務めたサリンジャー 

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ピエール・サリンジャー(Pierre Salinger、1925~2004)

本コラム第4回で、フランクリン・ルーズベルト大統領の政治顧問を務めた

ルイス・マクヘンリー・ハウ

を紹介しました。今回は、ジョン・F・ケネディ(JFK)大統領からホワイトハウス報道官に任命され、広報担当の枠を超えてJFKの専任メディア戦略アドバイザーとしての役割を果たした、ピエール・サリンジャーを紹介します。

JFKの広報戦略は「テレビとイメージを中心に据えた近代政治広報」の原型として、現代政治コミュニケーションに多大な影響を及ぼしました。サリンジャーは、報道部門の中核スタッフとして、その企画実践に手腕を振るいました。

「ホワイトハウスがメディア戦略をもって国家運営にあたる」体制を確立

サリンジャーは、1959年にJFKが上院議員だった時に彼のスピーチの草稿作成などを通じて関係が始まりました。1960年の大統領選挙では広報担当としてケネディ陣営を支え、メディア戦略の構築に貢献したことから、1961年~1964年にホワイトハウス報道官、のちに在仏アメリカ大使館の首席公使、ジャーナリストや著述家として活動しました。

JFKは、サリンジャーを「報道官以上の存在」とみなし、しばしば私的な相談役としても頼りにしていました。

では、サリンジャーが果たした役割を具体的に検証する前に、JFK政権の広報体制はどのようなものだったか、私なりに整理しておきたいと思います。

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河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)
河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)

かさい・ひとし/ミアキス・アソシエイツ 代表。10年にわたる外資系メーカーでの国内広報宣伝部門責任者を経て、1998年8月より広報コンサルタントとして独立。以来、延べ140社以上の外資系IT企業をはじめ、ITベンチャー各社の広報業務の企画実践に関するコンサルティング業務に携わる。メーカーでの広報担当時代(1989年~)から現在まで、自身で作成・校正を手がけたプレスリリースは、2600本を超えた(2024年12月31日現在: 2618本)。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科修士課程修了(コミュニケーション学)。日本広報学会会員。PRSJ認定PRプランナー(登録番号00279)。著書に『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』(同友館)。

河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)

かさい・ひとし/ミアキス・アソシエイツ 代表。10年にわたる外資系メーカーでの国内広報宣伝部門責任者を経て、1998年8月より広報コンサルタントとして独立。以来、延べ140社以上の外資系IT企業をはじめ、ITベンチャー各社の広報業務の企画実践に関するコンサルティング業務に携わる。メーカーでの広報担当時代(1989年~)から現在まで、自身で作成・校正を手がけたプレスリリースは、2600本を超えた(2024年12月31日現在: 2618本)。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科修士課程修了(コミュニケーション学)。日本広報学会会員。PRSJ認定PRプランナー(登録番号00279)。著書に『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』(同友館)。

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