イネズ・カイザー(Inez Yeargan Kaiser、1918~2016)は、米国の教育者、広報実務家、起業家であり、アフリカ系米国人女性として初めて大手企業をクライアントに持つPRエージェンシーを設立・運営しました。
教師からPR会社の経営者へ転身
カイザーはカンザス州カンザスシティで生まれ、当時の人種差別的な社会制度の中にいて、教育を受けることに強い意志を持っていました。1941年にピッツバーグ州立大学で教育学の学士号を取得し、その後コロンビア大学で修士号を取得しました。
また、シカゴ大学、ロックハースト大学、ダートマス大学でも学び、ラジオやテレビ、ファッションの小売・販売に関する専門的なトレーニングも受けました。
カイザーは、20年以上にわたり公立学校で家庭科教師を務めていました。彼女は書くことに情熱を持ち、地元紙で「Fashion and Otherwise」というコラムを書いていました。
このコラムは後に全米の黒人向け新聞に掲載されるようになります。また、個人的な関心事としてジャーナリズム活動に打ち込んでおり、自身が行っていた活動の一部が今でいう広報PR活動自体だったことを自覚していませんでした。
その後、教師の仕事に疲れたカイザーは、黒人向けの新聞『セントルイス・アルゴス』の元編集者兼発行人であり友人のハワード・ウッドの励ましを受け、教職を辞して広報PRの仕事に専念する決断をし、1957年に「Inez Kaiser & Associates」を設立しました。これはアフリカ系アメリカ人女性が率いる初のPRエージェンシーであり、カンザスシティでアフリカ系アメリカ人が所有する初のビジネスでもありました。
1950年代に黒人市場へのアプローチで活躍
カイザーが広報の仕事を始めた1950年代は、企業が黒人消費者を新たな市場として関心を高めつつあった時期でした。彼女は黒人市場へのアプローチに長けており、その卓越したアドバイスによる利益はすぐに明らかになりました。
彼女のエージェンシーは、7Up、スターリング・ドラッグ、シアーズ・ローバック、リーバー・ブラザーズなどの大手クライアントを獲得し、全国的な広報活動を展開しました。
広報活動に加え、カイザーは全米黒人地位向上協会(NAACP)をはじめとする多くの組織で積極的に活動しました。公民権運動の最中、彼女はコミュニケーションの専門家として重要かつ効果的なメッセージを広める役割を果たしました。
カイザーはPR実務家になってからも新聞で執筆活動を続け、「Fashion and Otherwise」をはじめ、『The Kansas City Star』紙では「As I See It」というコラムを担当しました。さらに、1960年には『Soul Food Cookery』という料理本を出版し、アメリカの伝統的な料理の数々を紹介しました。
広報での功績とミズーリ州の公立学校における家政学への貢献により、カイザーはミズーリ州ジェファーソンシティにあるリンカーン大学から名誉法学博士号を授与されました。
また、カイザーは全米広報協会(PRSA)およびグレーター・カンザスシティ商工会議所にアフリカ系アメリカ人として初めて加盟しました。彼女は「Del Sprites」という団体を設立し、社会的に不利な立場にあるアフリカ系アメリカ人の女子中高生に社交術を教え、高等教育への道を支援しました。
政治的には共和党員であり、ニクソン、フォード、レーガン各政権でマイノリティ女性とビジネスに関するアドバイザーを務めました。また、国連の女性の経済的地位に関する会議にアメリカ代表として参加しました。
アフリカ系アメリカ人の地位向上を実現
カイザーはその功績により、1997年にアメリカ商務省から「National Minority Advocate of the Year」に選ばれました。また、ミズーリ州教師協会から「Teacher of the Year」、カンザスシティから「Business Woman of the Year」に選ばれるなど、多くの賞を受賞しました。
このコラムで紹介したジョセフ・ヴァーニー・ベイカーも黒人PR分野のレジェンドですが、カイザーとの共通点が多くあります。両者は、アフリカ系アメリカ人として初めてPRエージェンシーを設立し、業界に多大な影響を与えました。
2人はともに広報業界に入る前にジャーナリズムの経験があり、情報発信の重要性を理解していました。また、PRSAの会員であり、業界内での地位を確立していました。
カイザーとベイカーは直接的な協力関係があったかどうかは明確ではありませんが、同時代において互いに影響を与え合い、アフリカ系アメリカ人の地位向上と広報業界の発展に貢献したことは間違いありません。
