米テレビ史に残る「公共討論番組」のスタイルを確立したジャーナリスト、マーサ・ラウントリー

マーサ・ラウントリー(Martha Rountree、1911-1999)

マーサ・ラウントリーは、アメリカのジャーナリズムとテレビ放送の黎明期において活躍した、極めて重要な人物です。

アメリカの政治家にとって、出演は避けて通れないNBCの公共討論番組『Meet the Press(ミート・ザ・プレス)』の共同創設者、かつ初代司会者として知られています。テレビ番組としては1947年に始まり、現在も日曜朝に放送中です。以下に、彼女の人物像と功績をご紹介します。

ラジオ番組からスタート、1947年にNBCのテレビ番組へ

ラウントリーはフロリダ州ゲインズビル生まれで、その後サウスカロライナ州コロンビアで過ごしました。サウスカロライナ大学に進学しましたが、家庭事情により中退。生まれ故郷のルフロリダ州に戻り、『Tampa Tribune』に就職。新聞記者としてジャーナリストのキャリアを始めます。

1938年にニューヨークに移り、フリーランスや広告コピーライターとして活動後、姉アンと共同でプロダクション会社「Radio House」を設立 します。ここで、『Leave It to the Girls』という最初のラジオ版パネル番組を考案し、注目を集めます。

業界関係者や『American Mercury』誌の支援を受け、1945年6月に番組『The American Mercury Presents: Meet the Press』をラジオ局で開始し、ラウントリーは番組の創設者件モデレーターとして参加します。

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河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)
河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)

かさい・ひとし/ミアキス・アソシエイツ 代表。10年にわたる外資系メーカーでの国内広報宣伝部門責任者を経て、1998年8月より広報コンサルタントとして独立。以来、延べ140社以上の外資系IT企業をはじめ、ITベンチャー各社の広報業務の企画実践に関するコンサルティング業務に携わる。メーカーでの広報担当時代(1989年~)から現在まで、自身で作成・校正を手がけたプレスリリースは、2600本を超えた(2024年12月31日現在: 2618本)。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科修士課程修了(コミュニケーション学)。日本広報学会会員。PRSJ認定PRプランナー(登録番号00279)。著書に『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』(同友館)。

河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)

かさい・ひとし/ミアキス・アソシエイツ 代表。10年にわたる外資系メーカーでの国内広報宣伝部門責任者を経て、1998年8月より広報コンサルタントとして独立。以来、延べ140社以上の外資系IT企業をはじめ、ITベンチャー各社の広報業務の企画実践に関するコンサルティング業務に携わる。メーカーでの広報担当時代(1989年~)から現在まで、自身で作成・校正を手がけたプレスリリースは、2600本を超えた(2024年12月31日現在: 2618本)。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科修士課程修了(コミュニケーション学)。日本広報学会会員。PRSJ認定PRプランナー(登録番号00279)。著書に『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』(同友館)。

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