歓喜と激怒の震災直後
2011年3月11日。この日を境に沿岸の日常生活は一変しました。
直後から1カ月は「食糧難」。支援、援助物資はさすがに先進国日本であり、生命維持に必要な物は即刻集まりました。ただ、本当に食べたいものは、さすがに入手困難でした。
望月社長は、過酷な陣頭指揮の最中、「あ~ホルモンが食いてえ」とつぶやいていました。女神(本当は男)はいるものです。旧知の関係にあった県OBで先輩(三陸鉄道を勝手に応援する会会員)の笠原光雄さんが「おい、何か食いてえものあるか」と社長に電話をしてきました。「はい、上質のホルモンをたっぷり食べたいです。それからエビスビール、あと野菜かな」としっかりと思いを伝えたところ、笠原さんは、物資不足の最中、盛岡市内を一日中駆け巡り、ホルモンを5キロ、エビスビール、キャベツなどの野菜を手に入れ、三鉄にわざわざ自分の車で持参してくれました。
毎日カップ麺とおにぎりで過ごしていた社員は、過酷な復旧労働は限界に近く、パワー不足に陥っていました。まさに天からの恵みです。三鉄のよろず屋課長及川さんが料理長となり、大きな鍋で「味噌仕立てホルモン汁」を本社の会議室で作りました。社員の喜々とした顔、無我夢中でほおばる社長の猫背の姿。食べ物に感謝することを身体にしみ込ませた神からの差し入れに、社員の目は真っ赤でした。この望月社長の「ホルモン食いてえ」は、結構波紋を起こし、地元紙岩手日報社論説委員長の村井さんはじめ、肉の府金、岩手県産会社などからホルモンが届きました。