大阪の新世界市場に始まり、文の里商店街、伊丹西台、そして宮城県女川へと広がっていった「商店街ポスター展」。月刊『広報会議』では2015年3月号から全5回にわたり、仕掛人である日下慶太さん(電通関西支社)によるコラムを掲載してきました。アドタイでは、『広報会議』本誌では掲載できなかった部分など含め、改めて加筆した完全版として全5回にわたりお届けします(隔週予定)
第3回「伊丹西台ポスター展」の回はこちら
河北新報社の提案を受け、仙台広告界も決起した
今回はポスター展の広がりについて。まずは今年2月から5月にかけて、宮城県女川町で開かれたポスター展から紹介していこう。
女川ポスター展は2015年2月21日から5月31日まで、津波で甚大な被害を受けた宮城県女川町一帯で開催された。河北新報社の被災地支援プロジェクト「今できることプロジェクト」の一環として行われた。
そもそものきっかけは河北新報社の八重嶋拓也君からの提案だった。被災地で「商店街ポスター展」をしたい。そんな熱意とたくさんの仙台銘菓「萩の月」を持って大阪にやってきた。決してお金は潤沢にはなかったが、萩の月のおいしさと、本気感あふれるその量と、被災地のためならば、ということでぼくはすぐにOKした。
ぼくが大阪でのノウハウを使ってポスター展をプロデュースする。問題は誰がポスターを作るかということだった。大阪のスタッフを連れて行くにはあまりに遠く、お金もかかる。制作は現地の人間でやるしかない。何より地元のことは地元がやるのが一番よい。ただ、現地の制作者など誰も知らない。いっそ、地元の学生とやるのがよいか、などと頭を悩ませていた。
