『egg』を復活させた21歳のギャル編集長「ギャルはSNSの中にいる」

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1990年代にヤマンバブームを生み出すなど、ギャル文化をけん引した『egg』。2018年3月、egg好きが高じてウェブ版eggを復活させた21歳の赤荻瞳編集長に、ギャルたちの心をつかむ新しいメディアのつくり方や、今後の展望を聞いた。『編集会議』2018年夏号(7月31日発売)の特別編としてお届けする。

eggとの出会いは小学生時代

エムアールエー「web egg」編集長 赤荻 瞳氏
1997年、埼玉県生まれ。渋谷でギャルサーに所属したのち、2015年に広告制作会社に入社。2018年にはエムアールエーで休刊していた雑誌『egg』を復刊させ、編集長を務めている。

—創刊号は1995年発売。赤荻さんは当時まだ生まれていませんよね。一般的な「egg世代」よりは若い世代かと思いますが、なぜ「編集長になりたい」と思ったのでしょうか。

私、eggがほんっっとに大好きなんです。だから2017年末、元々所属していた広告制作会社の社長から「復刊させる」という話を聞いたとき、「私に編集長をやらせてください」と手を挙げました。

編集経験はまったくないし、社会人経験も浅いんですけど「失敗してもいいからこのチャンスは逃したくない」と思って「21歳だからこそ、リアルなギャル事情が分かります!」とアピールしたんです。その熱意を買ってもらい、2018年3月の「web egg」創刊と同時に、編集長を任せていただけることになりました(エムアールエーも同時に設立)。

1995年の創刊号。「ギャルのイメージが変わるでしょ?」と赤荻さん。

「egg世代」というと、一般的なイメージでは1990年代後半~2000年代に中学・高校時代を過ごした世代のことかもしれませんが、私のeggとの出会いは小学生のころなんで、リアルタイムで読んでたんですよね。当時はお小遣いも少ないので友だちと回し読みですけど、とにかく毎号楽しみで、隅から隅まで読んでましたね。

渋谷に出てくるきっかけもeggでした。私にとってeggはファッション誌というよりも「カルチャー誌」だったので、ギャルのカルチャーを生み出す街・渋谷にはものすごく憧れていたんです。当時は渋谷から電車で片道1時間かかる埼玉県伊奈町に住んでいたんですが、中学生になったらほとんど毎日、渋谷の街に通うようになりました。少ない時でも“週3渋谷” って感じでしたね。

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