2020年は、最悪の年なのか。最高の年なのか。

【前回コラム】「こんな時でも、こんな時だからこそ 僕らのモチベーションをあげてくれる広告たち」はこちら

こんにちは。これまで6回にわたって、ロサンゼルスからアメリカと日本における働き方の違い、最新クリエイティブの事例やブランディングをテーマに続けてきたこのシリーズも、今回が最終回となります。

前回のコラム

のすぐ後に、こちらアメリカでは、白人警察官によるアフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドさんの殺人事件をきっかけとした、人種差別に対する大規模な抗議デモと暴動が発生し、全米を巻き込んだ歴史的出来事となっています。(まだ全然パンデミックも収まってないのに!)

最後のコラムで、何を書いたら良いものか。非常に悩みましたが、まだ半分も終わっていないのにもかかわらず、何百年に1度の年になりつつあるこの2020年を振り返りながら、これからのことについて考えてみたいと思いました。

パンデミック。そして人種差別抗議運動

「今年は大統領選挙があるから、しばらくはみんな様子をみてるのかもね」。2020年頭に交わした同僚とのこの会話を覚えています。この時はまだ、当然パンデミックもオリンピックの延期もBLMの抗議デモや暴動も想像すらしておらず、例年に比べてクライアントや企業の初速が遅いことに少し違和感を覚えたくらいでした。

それからの数カ月の間に起こったパンデミックに関しては、前々回のコラムでまとめた通りです。ひとつ追加しておくと、日本やアジア諸国では落ち着きを見せ始めていますが、ここアメリカでは、今でも拡大し続けています。カリフォルニア州では毎日2000人ほどの新規感染者が確認されている状況です。それでも経済再開のため、徐々にお店はオープンし始め、人々が街に戻り始めてきたところです。その矢先に起こったのが、このジョージ・フロイドさんの事件でした。

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曽原 剛(Death of Bad)
曽原 剛(Death of Bad)

1999年博報堂入社。コピーライターとして7年間在籍したのち、2006年にロサンゼルスのTBWAに移籍。Appleや日産など数多くの有名企業のクリエイティブを手掛けた。その後、2014年に日本に帰国し、J. Walter Thompson Japan のエグゼクティブ クリエイティブ ディレクターに就任。2018年には、ロサンゼルスのTBWA\Media Arts Lab時代の同僚、ジョン・ランカリック氏と共同でクリエイティブスタジオ「Death of Bad」を立ち上げた。

曽原 剛(Death of Bad)

1999年博報堂入社。コピーライターとして7年間在籍したのち、2006年にロサンゼルスのTBWAに移籍。Appleや日産など数多くの有名企業のクリエイティブを手掛けた。その後、2014年に日本に帰国し、J. Walter Thompson Japan のエグゼクティブ クリエイティブ ディレクターに就任。2018年には、ロサンゼルスのTBWA\Media Arts Lab時代の同僚、ジョン・ランカリック氏と共同でクリエイティブスタジオ「Death of Bad」を立ち上げた。

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「ロサンゼルスの現場から。~日本語しかできなかったコピーライターが、気付いたら、LAでクリエイティブスタジオを設立していた話~」バックナンバー

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