東日本大震災から10年。地元の放送局や新聞社に加え、途切れることなく、それぞれの地域の情報を発信し続けているのが、新たに生まれた「住民発」のメディアです。本コラムでは、ニュースサイト「TOHOKU360」の編集長を務める安藤歩美氏が全3回で執筆。2016年に宮城県仙台市で生まれた「TOHOKU360」は、メディア経験のある編集者と、東北6県に住む「通信員」が伝え手となるのが特徴です。メディアのかたちや発信の仕方、生活者の接し方が少しずつ変化しているいま。震災直後、そしてそれ以降の復興のなかで、どのような役割を果たしてきたのか、想いを語ります。
はじめまして。私は東日本大震災後に宮城県に移り住み、2016年に「TOHOKU360」という住民参加型のニュースサイトを立ち上げて運営しています。はじめは新聞記者として赴任したこの宮城県ですが、早いもので、移り住んでからもう8年が経とうとしています。
千葉県で生まれ育った私が、なぜ東北で市民メディアを立ち上げたのか。地域メディアや市民メディアに今どんな可能性を感じて活動を続けているのか。貴重な機会としていただいた3回の連載の中で、こちらに来てからの活動を振り返りながら、地域メディアの役割やこれからを考えてみたいと思っています。
女川を訪れた東京の学生、宮城で新聞記者になる
2011年3月の東日本大震災が起きたとき、私は千葉県の実家にいました。情報を知るためにテレビをつけると、映し出されたのは、宮城県名取市閖上のまちが津波にのみ込まれていく、信じがたい光景でした。とんでもないことになった、と呆然としました。
東京の大学院に通っていた私は日常生活を送りながら、「何かしたい、しなければ」との思いが強くなっていました。夏休みに教授に付いていき、岩手県大槌町へ。冬休みは宮城県女川町の学習ボランティアに応募し、一週間ほど滞在しながら町の中学生に勉強を教えるボランティア活動をしました。