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コラム

ビデオコミュニケーションの21世紀〜テレビとネットは交錯せよ!〜

伝えたいことが見つかれば、それがブランドジャーナリズム

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大企業所属のジャーナリストがいても、いいんじゃないの?

4月の中頃だったでしょうか。元テレビ朝日アナウンサー・富川悠太氏の話がいきなりネット上で盛り上がりました。公式ホームページを立ち上げ、その中で「トヨタ自動車株式会社の所属ジャーナリストとして新たな一歩を踏み出しました」と宣言したのです。これに人びとが驚き、様々な受け止め方をされたようです。私はまず面白そうだなあ、と思いましたし、「企業所属のジャーナリスト」ということにも興味を感じました。具体的に何をやるのか、期待しちゃう。

同じ日だったと思いますが、今度は株式会社ブランドジャーナリズムという会社発足のニュースも飛び込んできました。これはまた新鮮!ブランドジャーナリズムの概念はなんとなく知っていたつもりですが、そのものズバリの会社ができたとは。設立した3名が女性であることも加えて、これまた面白そうだと感じました。

この2つのニュースが同じタイミングだったのが、奇妙に響きあってネットで増幅されていきました。富川悠太氏の企業所属ジャーナリストの肩書と、ブランドジャーナリズムの社名が一緒くたになり、主にジャーナリストの皆さんの中で違和感を醸し出していったのです。

どちらかというと、富川氏に対する「何か言ってやりたいムード」が漂ってきました。ブランドジャーナリズムとかいう会社を立ち上げた連中もいるし、富川氏の動きは胡散臭い。怪しい。トヨタに隷属するのだろう。そんな声があちこちのタイムラインで聞こえてきました。「トヨタが不祥事を起こしたら、富川氏はちゃんと告発できるのか」。そんなことまで言う人もいました。

それはちょっとおかしいなあ。自分の所属企業の不祥事をちゃんと批判している「ジャーナリスト」っているでしょうか? 最近、不祥事が続いた某テレビ局で、その原因を調べ上げてリポートした記者なんていましたっけ? もしクビを覚悟でそんなリポートする記者がいたら尊敬しますが、それができなきゃジャーナリストじゃないの? じゃあ日本の新聞記者もテレビ局の報道の人も、ジャーナリストじゃないってこと? そんな屁理屈を言いたくなります。

それに大企業所属のジャーナリストがいても、いいんじゃないでしょうか? だって民放のニュースや新聞社の記事だって、トヨタはじめ大企業が払う広告費があって事業を継続して、日々の発信活動もできているわけですよ。富川氏がトヨタ所属と発表しただけで批判する人は、メディアの事業構造がわかっていないんでしょうか。常日頃から感じていますが、日本のジャーナリストの一部には必要以上に企業の存在を悪く捉え、それに関わることそのものも悪だと捉えちゃう人がいる。

もちろん、富川氏が活動開始してトヨタの提灯記事ばかりリポートしたらダメですよね。でもそんなことしたら笑い者になるだけですよ。そんなの誰だってわかるじゃないですか。だから富川氏に関しては、これから具体的に何をするかです。それを見守ってから悪口でも何でも言えばいい。今の段階でいいも悪いもないでしょう。

それより興味を持ったのは、富川氏の宣言と一緒に伝わってきたブランドジャーナリズムという会社の設立です。そして富川氏の宣言とともに、企業と広告とジャーナリズムの関係を考えたくなりました。そこには何か、広告が次へ進むための突破口がある気がします。

広告がどんどん、私から見るとつまらない領域に入ってきたなと思うんです。2年前にこの連載でこんなことを書きました。

「広告のいちばん重要な機能は「心を動かすこと」です。」

でもその後も広告はここで書いたことから遠のいている気がします。最近いちばん気になるのが「運用型テレビCM」と呼ばれるタイプの広告です。今は本当に、そんな商品までCMを打つの?と言いたくなるテレビCMが増えています。どれもこれも、スマホが受け皿のアプリやサービスのCMです。多少ニーズが狭くても、世の中にまったくなかった機能を満たす商品はテレビCMを打つと、認知が抜群に広がりますね。しかもスマホが受け皿だと、効果がダウンロード数に即出る。見たらすぐ検索してダウンロードもできちゃうから、テレビCMとスマホサービスは相性がいい。だからCMが使われるんですね。そして運用型、つまりすぐにわかる結果に応じてCMの打ち方を改善していく。PDCAとか言って代理店がせっせと運用している様が目に浮かびます。

こうしたCMは構造が「コバヤク型」です。小林製薬のことです。この会社の商品は、唯一無二の悩みに効く効能がある。だからそれをそのままCMにすればいいわけです。今のスマホサービスもこれまでなかった商品なので、コバヤク型でいい。小林製薬を馬鹿にするつもりも何もありませんが、あのCM制作は大変だなあと前から思って見ていました。自分にはできそうにないなあ、と。


今の運用型テレビCMも、見ていると「大変そうだなあ」と思うんです。正直、作ってて面白いのかなあとも。でもきっと、現場はイキイキシャキシャキと作ってるんでしょうね。「企業様のニーズに丁寧にお応えしたら効果があるとご評価いただけました」と過剰な丁寧語で受け答えしてそうです。

ブランドジャーナリズムに精通しているわけではないし、あらためて聞いた言葉で正確に理解できているわけではありません。でも、ブランドジャーナリズムについて考えていくと、広告制作を面白いと思っていた頃を彷彿とさせられます。

ジャーナリズムとは、「時事的な事実や問題に関する報道・論評」だそうです。さっきの富川さんに「トヨタを批判できるか?」と問う人は、ジャーナリズムは反権力でなければならないと思っているのでしょうけど、根本は前述のようなことなので、権力批判はその結果出てくることです。もちろんジャーナリズムにとってウォッチドッグの役割は重要ですが、それだけではない。本質は「時事的な事実や問題」を「報道・論評」すること。それって結構、広告は扱ってきたと思うんですよね。多分ブランドジャーナリズムとは、それに当てはまるものとはまらないものに2分するものではなく、広告の要素の中でそこに注目しよう、という考え方、概念なんだと思います。

例えば超有名な広告で言うと、1982年の西武百貨店「おいしい生活。」のキャンペーン。生活は今、味わうものになってきたんじゃないか、と「論評」していると言えます。これね、1980年代に物心がついてた人なら覚えてると思いますが、結構びっくりしました。生活に「おいしい」とは。その後、「おいしい」の言葉は「おいしい話」などと金銭に関与する形容詞に堕していったのですが、当時は「なるほどなあ、生活もおいしいかどうかかなあ」とようやく物質的な欲望が満たされてきた人々が新たなものの見方を得ていったわけです。

最近でも宝島社の新聞広告は「時事的な事実や問題」を取り上げていました。はっきり「論評」していましたね。ちょっと政治色が強すぎる気もしましたが、逆にいま見直すと響くメッセージだったりします。検索すればたくさん出てくるので、みなさんもぜひこの機に見返してください。これらはブランドジャーナリズムの考え方といってよさそうです。ジャーナリストの皆さんも納得してくれるんじゃないでしょうか。

あるいは、80年代90年代の特に新聞広告を、コピー年鑑などで見返してもらうといい。広告は主に企業広告で「時事的な事実や問題」を「報道・論評」していました。企業の皆さんも「社会に対するメッセージ」に前向きでしたね。

こうして見ていくと、広告は前々からブランドジャーナリズムの要素を持っていたんです。ただやはり、新聞広告の衰退がこうしたメッセージの場を少なくしてしまった。そうやって考えていくと、今ブランドジャーナリズムの概念があらためて出てきたのは、新聞広告が失ってしまった存在価値をネット上でまた作れないか、との動きなのかもしれませんね。

それで私は自分の活動を思い出して「しまったな」と思ったことがあります。私は2000年代後半からメディアについてブログを書いていたら人目につくようになりました。2010年代に入るとハフポストやBLOGOSなど外部メディアに転載されるようになったんです。

ブログがさらに多くの人に読まれるようになり、またその際にタイトルとともに画像も重要だと知りました。そして、タイトルと画像が大事というのは広告制作と同じだと気づいたのですね。そこで新しい広告の形を探る実験を始めました。見出しとビジュアルを、広告作りと同じようにコピーライターとアートディレクターで制作する。当時よく仕事をしていたBeeStaffCompanyの上田豪氏にビジュアルを作ってもらい、ハフポスト読者が読んでくれそうな社会的なテーマで見出しを作って記事全体を書く、というのを始めました。2013年の秋でしたね。

これでたくさん読まれるようなら、こういう記事形式が広告として実際に使えるのではないか。そんな考えで連作していきました。いくつかご紹介しますね。
誰かをヘイトしていると、あなたがヘイトされる。

「ヘイトスピーチ」なるものが登場してきたことに「論評」したものですね。

させていただきます、を必要以上に使い過ぎてると、言わせていただきます。

これは最近もよく言われる話ですね。

そして2014年1月に作ったこれ。
赤ちゃんにきびしい国で赤ちゃんが増えるはずがない。

これがハフポストに転載されたら、凄まじい勢いでシェアされていきました。最終的には17万だか18万だかのいいね!がついて、記事にいいね!ってそんなにつくの?ってくらいびっくりしました。

で、これは新しい形式の広告の実験のつもりだったので、その一連についてあちこちでプレゼンして回りました。こんなやり方でネットで企業広告が展開できます。このビジュアルに育児関係のブランドロゴがついていれば、ほら広告でしょ。そんな話をしていったのですが、どうもメッセージが強過ぎたのか、私はすっかり育児問題の人扱いされてしまい、新しい広告という話はあまり受け止めてもらえなかった。まあ、ようやくコンテンツマーケティングの概念が出てきた頃だったのでいささか早過ぎたんでしょうか。

あ、あの時、これはブランドジャーナリズムです、と言えばよかった!この概念について考えていたら、思い出して気づいたのでした。当時すでにあった言葉ですし、私も触れていたと思いますが、これと結びつけて考えなかった。ああ後悔!富川氏とブランドジャーナリズムという会社から考えて、そんなことを思い出したわけです。
今からでも誰か、こんな感じでやりません?

自分の話が長くなりました。そしてちょっと反省するのが、こうやって説明していくと、なんか社会派広告表現のことをブランドジャーナリズムだと言っているみたいですね。社会問題に対してものを言うのがブランドジャーナリズムだと言うのはこの概念を狭くしちゃいそうです。もう少し広く、またいい加減に考えてもいいと思いますよ。ブランド活動とジャーナリズムの接点みたいなことだと思うので。というかこの言葉はそれしか言っていない。

ブランドや商品について気づいたこと、感じたことを伝えていく、報道していく、ということでいいのだと思います。それがブランドジャーナリズムの原点としての意味なのでしょう。

株式会社ブランドジャーナリズムを起業したのは3人の女性たちですが、代表取締役の林亜季さんと実は先日お会いしました。いろんなことを話しましたが、面白かったのが彼女のジャーナリズムの捉え方です。朝日新聞の記者時代に「聞いて聞いて!」という感覚で記事を書いていたというのです。ニュースバリューがあると思ったネタや事実を読者に「聞いて聞いて」という気持ちで書く。気負いや過剰な使命感がなくていいなあと思いました。

それがジャーナリズムだとしたら、ブランドジャーナリズムとは「企業や商品に取材してニュースバリューがあると思ったネタを聞いて聞いて!の気持ちで書く」ことと定義できるかもしれません。これくらい軽やかな捉え方がいいですね。それは「心を動かすこと」にもつながる気がします。ブランドジャーナリズムの概念を知ることで、広告が楽しく面白いものになりそうだなと思いますがどうでしょうか?