会長93歳、顧問も95歳!50代の私が転職したベンチャーと戦後ソニーの共通点

TBM初取材で驚いた野田一夫顧問の存在

30年以上に及ぶ経済記者の経験の中で、大企業からスタートアップまで数え切れないほどの企業を取材してきた。その中で特にTBMに興味を持ち、50代半ばにして入社に至ったのはなぜか。どんなところに魅力を感じたのかと聞かれることが多い。

あと、「よくスタートアップ経営者にインタビューしてたけど、あれって転職先探しでやってたんですか」とも言われる。いや、最初から取材先をそんな下心で見ることなんてことは断じてなかった。

以前にも書いたように、TBMを初めて取材したのは2016年4月のことだった。当時は宮城県白石市に第一工場ができたばかりで、LIMEXは名刺くらいしか商品化されていなかったが、この技術に大いなる可能性を感じた。

ただ、それだけではない。私はその日、TBMに日本を代表するある戦後ベンチャーの姿を重ね合わせてしまったのだ。東京通信工業。今のソニーである。

取材の中で、TBMの最高顧問に野田一夫氏が就いていることを聞かされた。野田氏といえば、1956年にピーター・F・ドラッカーを日本に初めて紹介した経営学者であり、日本総合研究所初代所長、ニュービジネス協議会初代理事長、多摩大学初代学長などを歴任した人物。御年95歳でベンチャー企業の育成に力を注ぎ、孫正義や澤田秀雄など名だたるベンチャー経営者が師と仰ぐ“ベンチャーの神様”と呼ばれる存在だ。

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深澤 献(TBM ブランド&コミュニケーションセンター長)
深澤 献(TBM ブランド&コミュニケーションセンター長)

ふかさわ・けん/広島県出身。株式会社TBMのブランド&コミュニケーションセンター長。1989年ダイヤモンド社入社。『週刊ダイヤモンド』でソフトウェア、流通・小売り、通信・IT業界などの担当記者を経て、2002年10月より副編集長。16年4月よりダイヤモンド・オンライン(DOL)編集長。17年4月よりDOL編集長との兼任で週刊ダイヤモンド編集長。19年4月よりサブスクリプション事業や論説委員などを経て、22年2月に新素材スタートアップのTBMに転じる。著書に『そごう 壊れた百貨店』『沸騰する中国』(いずれもダイヤモンド社刊・共著)など。趣味はマラソン。

深澤 献(TBM ブランド&コミュニケーションセンター長)

ふかさわ・けん/広島県出身。株式会社TBMのブランド&コミュニケーションセンター長。1989年ダイヤモンド社入社。『週刊ダイヤモンド』でソフトウェア、流通・小売り、通信・IT業界などの担当記者を経て、2002年10月より副編集長。16年4月よりダイヤモンド・オンライン(DOL)編集長。17年4月よりDOL編集長との兼任で週刊ダイヤモンド編集長。19年4月よりサブスクリプション事業や論説委員などを経て、22年2月に新素材スタートアップのTBMに転じる。著書に『そごう 壊れた百貨店』『沸騰する中国』(いずれもダイヤモンド社刊・共著)など。趣味はマラソン。

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