「広告はアートじゃない。」―――クライアントがビジュアルに納得していなかったり、クリエイターが言い訳をするときに登場する決まり文句です。アートディレクターがつくるビジュアルとアーティストのつくるアート、その違いはどこにあるのでしょう。決してクライアントの意向や予算の有無だけではないはずです。
まず、アートは、言葉では表現し難いものを可視化できるようにしたものだと仮定してみます。例えば、世界一長いタイトル(解説文という説もあるが)のダリの絵は、筆舌を尽くしても表現できない心象風景を1枚の絵に可視化した典型的な例かもしれません。また、デュシャンの「泉」はアートの本質を問いかけたもので、鑑賞物としてよりも思考の大胆な可視化が評価されたのだと思います。ウォーホルのポップアートも、単なる工業製品の写しではなく大量生産・消費へのアンチテーゼを顕在的に可視化したものだと読み解く人もいます。本人は「見たままで何の意図もない」とコメントしていますが。アートの第一義的な役割は、思考の可視化であり、送り手側の考え方が色濃く反映されたものではないでしょうか。
一方、広告やプロパガンダに用いられるビジュアルは、誰もが言葉を想起できるように具象化されたものだと思います。広告ビジュアルに求められる第一条件は、ポピュラリティを得ること。つまり、受け手側の評価が重要です。表現の良し悪しの前に、「分からない」は予算のムダに直結するからです。また、プロパガンダに用いられるビジュアルにもポピュラリティは必要です。例えば、異(言語)文化を有する人びとに教えを説く宗教画や闘争心を煽るための戦争絵画は、まさに見るだけで意図が伝わるビジュアルが使われています。見た人が「言語化」しやすいように、送り手の意図より受け手の印象を優先してつくられているのです。つまり、アートは送り手が主体で、ビジュアルは受け手が主体という観点で定義するべきです。
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内田しんじ(DENTSU ONE CHINA(広州)/ ECD)
内田しんじ(DENTSU ONE CHINA(広州)/ ECD)
うちだ・しんじ/大学在学中よりコピーライター@プロダクション(1984-89)からスタートし、DY&R(1989-’99)→TBWA/JAPAN(1999-’04)ECDを経て電通へ。現在、DENTSU ONE@広州(2020-)。外資系と電通でほぼ半々(約15年ずつ)のキャリア。3つの代理店で3つのクルマ(VOLVO→NISSAN→Honda)を担当。ウイスキーやコニャックを担当するも下戸。1988年度TCC新人賞(講談社)、1994年カンヌシルバー(スーパーニッカ)、2000年朝日広告大賞(アップルコンピュータG3)、2003年カンヌファイナル(フリスク)、2004年アドフェストブロンズ(NISSANカウゾー)、2011年ギャラクシー賞(AC公共広告機構)、2013年ACC+ADCグランプリ(Honda負けるもんか)、2018年中国国際広告賞ゴールド(Acura China)など受賞多数。2013年全広連広告大学・夏期セミナー講師。
内田しんじ(DENTSU ONE CHINA(広州)/ ECD)
うちだ・しんじ/大学在学中よりコピーライター@プロダクション(1984-89)からスタートし、DY&R(1989-’99)→TBWA/JAPAN(1999-’04)ECDを経て電通へ。現在、DENTSU ONE@広州(2020-)。外資系と電通でほぼ半々(約15年ずつ)のキャリア。3つの代理店で3つのクルマ(VOLVO→NISSAN→Honda)を担当。ウイスキーやコニャックを担当するも下戸。1988年度TCC新人賞(講談社)、1994年カンヌシルバー(スーパーニッカ)、2000年朝日広告大賞(アップルコンピュータG3)、2003年カンヌファイナル(フリスク)、2004年アドフェストブロンズ(NISSANカウゾー)、2011年ギャラクシー賞(AC公共広告機構)、2013年ACC+ADCグランプリ(Honda負けるもんか)、2018年中国国際広告賞ゴールド(Acura China)など受賞多数。2013年全広連広告大学・夏期セミナー講師。
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