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広告業界への就職を決めた同級生の一言と「空白の1日事件」
「何やってるんだね。君はディレクターになるんだよ!」
そんなこんな
で東北新社に入れてもらった僕は、給料が安すぎて暮らせませんでした。そのことを親に言うと、自分のせいで博報堂を辞退させてしまったという思いがあったんやと思います。仕送りをくれました。
電通に入った中山昌士くんや、資生堂に入った小林豊くんの初任給が12万円。僕は8万円。僕は4万円の仕送りを給料に足してなんとか生活を維持していました。でも仕事はめっちゃ楽しかったんです。
最初についた仕事が制作進行の見習いでした。映画の世界からやってきた荒っぽいスタッフたちにまみれて大声を出して先輩の声を復唱して走り回るのがまあ、楽しかった。当時は日活や大映のスタジオも地面は土です。1日走り回ってると靴はドロドロになります。「デザインよりCMや!」。その頃僕が知ってたデザインっちゅうのは武蔵美時代の作業のことです。マックもない頃のデザインというのは禅僧の修行のように清らかで繊細なものでした。
まず手をきれいに洗う。定規や道具をきれいに拭きあげる。写真植字に打たれた文字を一枚一枚切り抜き、二層に剥がしてペーパーセメントを塗ってピンセットでレイアウトして「版下」というものを作る。もう神経質の塊のような世界でした。そこからの解放感たるや! 大声を上げて走り回る撮影現場の世界。最高でした。
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なかじましんや(CMディレクター)
1959年福岡県生まれ。1982年武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業後、東北新社入社。83年CMディレクターとしてデビュー。主な仕事に、日清食品カップヌードル、ホンダステップワゴン、サントリーDAKARA/燃焼系アミノ式/伊右衛門、リクルートAirPAY/AirWORK、積水ハウス 企業CMなど。「カンヌ国際広告祭(現カンヌライオンズ)」グランプリ、「米IBA」最高賞など受賞多数。一方で東北新社の取締役、専務、副社長、社長を歴任したのち、2022年6月に退任。現職は顧問/エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター。東北新社のクリエイティブユニット「OND°(オンド)」を窓口に、CMディレクターとして活躍中。現在は東北新社グループ以外の制作会社の案件も受けられる体制を整えている。後進の育成にも力を入れており、宣伝会議のコピーライター養成講座やCMプランニング講座等で講師を務めている。東京ADC会員、武蔵野美術大学客員教授。
1959年福岡県生まれ。1982年武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業後、東北新社入社。83年CMディレクターとしてデビュー。主な仕事に、日清食品カップヌードル、ホンダステップワゴン、サントリーDAKARA/燃焼系アミノ式/伊右衛門、リクルートAirPAY/AirWORK、積水ハウス 企業CMなど。「カンヌ国際広告祭(現カンヌライオンズ)」グランプリ、「米IBA」最高賞など受賞多数。一方で東北新社の取締役、専務、副社長、社長を歴任したのち、2022年6月に退任。現職は顧問/エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター。東北新社のクリエイティブユニット「OND°(オンド)」を窓口に、CMディレクターとして活躍中。現在は東北新社グループ以外の制作会社の案件も受けられる体制を整えている。後進の育成にも力を入れており、宣伝会議のコピーライター養成講座やCMプランニング講座等で講師を務めている。東京ADC会員、武蔵野美術大学客員教授。
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