監督はCMの夢をみる
なかじましんや(CMディレクター)
1959年福岡県生まれ。1982年武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業後、東北新社入社。83年CMディレクターとしてデビュー。主な仕事に、日清食品カップヌードル、ホンダステップワゴン、サントリーDAKARA/燃焼系アミノ式/伊右衛門、リクルートAirPAY/AirWORK、積水ハウス 企業CMなど。「カンヌ国際広告祭(現カンヌライオンズ)」グランプリ、「米IBA」最高賞など受賞多数。一方で東北新社の取締役、専務、副社長、社長を歴任したのち、2022年6月に退任。現職は顧問/エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター。東北新社のクリエイティブユニット「OND°(オンド)」を窓口に、CMディレクターとして活躍中。現在は東北新社グループ以外の制作会社の案件も受けられる体制を整えている。後進の育成にも力を入れており、宣伝会議のコピーライター養成講座やCMプランニング講座等で講師を務めている。東京ADC会員、武蔵野美術大学客員教授。
このコラムについて
数多くのヒットCMを世に送り出し、あらゆる現場と時代の荒波を乗り越えてきた筆者によるテレビCM論。広告制作の現場に飛び込んではや40年。広告業界との不思議な縁から、15秒、30秒にかけるCMディレクターの仕事、映像表現の進歩とクリエイティブの変化、メディア環境の激変とテレビCMのこれから……。スマホ時代、お茶の間に話題を提供し続けてきたCMはどこへ向かうのか。切れ味鋭くお届けします。
-
CMがみんなを幸せにする、魅力あふれる場であり続けるために
カンヌライオンズでソーシャルグッドを追求した表現が注目されています。すごいことだと思っています。一方、テレビには売りに徹したCMであふれています。その事情もわかります。
-
「売りたい気持ち満載」のCMであふれるようになったのはなぜか
そんなこんなでございまして、1990年代のCMは80年代までのように個々のCMディレクターの強烈な個性に依存するだけやなくて、新世代CMプランナーとのコラボレーションやら才能あふれる若きアートディレク...
-
「hungry?」の舞台裏(後)~カンヌ受賞作ができるまで
前回と今回は、栄えあるカンヌグランプリに選ばれた日清食品カップヌードル「hungry?」シリーズの制作秘話を紹介します。前回は、僕がCMディレクターとしてチームに加わり、大貫卓也さんらとの仕事が始まっ...
-
「hungry?」の舞台裏(前)~大貫卓也にはかなわない
前回は、CMの世界におけるディレクター万能の時代から、CMプランナーやアートディレクターがディレクターとタッグを組んでいく時代に移っていったことを紹介しました。1990年代のことです。その後、インター...
-
CMプランナー時代の到来、新しい才能との出会いに活路を見出す
僕は河内義忠プロデューサーに連れられ、「♪スコーンスコーン湖池屋スコーン♪」「♪ポリンキーポリンキー」などの大ヒットCMを連発していた佐藤雅彦さんにお会いしたところまでを前回紹介しました。
-
佐藤雅彦の登場は「ディレクターの時代からの転換」を意味した
東北新社の新しいデジタル映像基地「オムニバス・ジャパン」に住み着いて、デジタル映像を使った新しいCMをつくり始めていた僕でしたが、1989年に初期のデジタル映像技術の金字塔ともいえる(自分ではそう思て...
-
フリー転向の誘惑!? ベンツに心奪われながらもデジタル映像の道へ
前回は、下積み時代の僕が好きな音楽編集の仕事に携わり、評価いただいたことについて紹介しました。しかも超メジャーブランドの清涼飲料水。有頂天だった僕は、その後ふたつの失敗をします。
-
「ベストヒットUSA」に夢中だった青年が、音楽モノの演出で有頂天に
涙の監督交代の後、僕を交代させた電通のクリエイティブディレクターFさんがひとつのチャンスを与えてくださいました。本来僕が監督するはずやったCMの曲のフルバージョンのミュージックビデオをつくる、という仕...
-
撮影途中でまさかの監督交代。涙の中華料理店で得た「教訓」
ナショナル換気扇の仕事でCMディレクターとしてデビューしたことは前回述べました。2作目は同じく大阪博報堂の案件で紳士服の「トロージャン」。一年先輩の荒木政人監督が風間杜夫さんでかっこいいのつくってまし...
-
企画演出部に「鬼」はいたのか? CMディレクターとしてデビュー
そんなこんなで東北新社に入れてもらった僕は、給料が安すぎて暮らせませんでした。そのことを親に言うと、自分のせいで博報堂を辞退させてしまったという思いがあったんやと思います。