お客様へ情報を届けても、本人が課題に気づいていないと実際の「行動」にはつながらない──。
本人すら気づいていない課題を抱える「潜在層」へのアプローチは、多くのマーケターを悩ませる壁の一つでもある。不眠症の疾患啓発に取り組むエーザイも、まさにこの難題に直面していた。睡眠課題を自覚していない生活者に、単に情報を一方通行で届けるだけでは「自分ごと」として受け止めてもらうことは極めて困難だったからだ。
この見えざる層を動かすため、同社が選んだのは一方的な情報提供ではない、NTTドコモの「dヘルスケア」を活用した“気づき”の顧客体験(CX)の再設計だ。生活者の日常動線の中に、クイズやアンケートを通じた“気づきのプロセス”を組み込む。その結果、自覚症状のなかった層の約2割が医療機関の受診に前向きになるという確かな成果を創出。その気づきは個人のQOL向上にとどまらず、「家族のウェルビーイング向上」へと波及する広がりも見せた。
広告の枠を超え、データとプラットフォームを掛け合わせることで実現した「人を動かすコミュニケーション」の裏側を、エーザイの谷長丈廣氏、近藤健仁氏、小野田智氏と、NTTドコモの牛窪由希氏、奥山貴則氏に聞いた。
社会的課題に潜む、3000万人の「見えない市場」
睡眠は人間の活動において不可欠なものであるにもかかわらず、自身の睡眠の質や疾患について深く意識している生活者は決して多くない。この「見えにくい市場」にどうアプローチをして、生活者に睡眠への「行動の選択肢」を知ってもらうべきか。睡眠領域の医薬品を扱うエーザイの製品戦略推進部では、不眠症に関する正しい知識を広め、必要に応じて医療機関を受診してもらうための疾患啓発活動(DTC)をミッションとしている。
同部の近藤健仁氏は、この領域でのマーケティングにおける課題感を次のように振り返る。
「我々は『相談e-眠り』や『睡眠相談ナビ』といった情報提供サイトを運営し、記事や動画を通じた啓発活動を行ってきました。しかし、不眠症は自覚症状がないケースが多く、情報を届けるだけでは『自分ごと』として受け止めてもらうことが難しい分野です。国内に約3000万人の不眠症予備軍がいると言われる中で、投薬治療に至っている方は年間500~600万人ほど。睡眠に対して悩みがある生活者の方が行動変容するためにどうアプローチしていくべきかが長年の課題でした」
エーザイ 製品戦略推進部 近藤健仁 氏
睡眠障害・不眠症に関する情報サイトを通じ、疾患啓発活動を推進
一般的なバナー広告や動画広告を活用した施策も実施していたが、企業からの一方通行になりがちであり、サイトへ送客した後の「意識・行動変容」までを可視化できていなかったと、同部の谷長丈廣部長は語る。
「睡眠に問題があるかもしれないと思っても、それが本当に『不眠症』であるか、そもそも『不眠症』とはどのような疾患なのか正しく理解している方々は多くありません。
そのため、この潜在層に対して、『不眠症』という疾患そのものを、ターゲット層に正しい情報でリーチし、単なるサイトの閲覧で終わらせず、気づきを与え、段階的に『不眠症』について知ってもらい『自分ごと』にしてもらうことで、ご自身の症状に気づいていただくための新たな仕組みを探していました」
エーザイ 製品戦略推進部 部長 谷長丈廣 氏
日常動線に溶け込む「自発的な学び」
そこでエーザイが着目したのが、NTTドコモが提供するアプリ「dヘルスケア」だった。同アプリはMAU約120万人を誇り、40代以上の健康関心層が多く利用している。不眠症のリスクが高まる年齢層とも合致していた。
NTTドコモ マーケティングDX推進室の牛窪由希氏は、このアプリの特性を次のように解説する。
「dヘルスケアのユーザー様は、毎日配信される『ミッション』に参加し、特典であるdポイントの抽選に参加することを日常の基本動作としています。テレビCMや動画再生時などの割り込み型広告とは異なり、ご自身の意思でミッションに参加するため、そこに啓発コンテンツが自然に溶け込んでもユーザー体験を阻害しません。この日常的な動線の中に、エーザイ様のコンテンツを配置する設計をご提案しました」
NTTドコモ マーケティングソリューション本部 マーケティングDX推進室 担当課長 牛窪由希 氏
「dヘルスケア」のMAUは約120万人。毎日提供されるミッションを通じて、睡眠への関心を高める
具体的には、「事前アンケート」「コラムとクイズの複数回配信」「事後アンケート」という一連のステップを踏むミッションを設計。まず、事前アンケートで自身の状態を言語化し、客観視してもらう。続いてコラムを読んだあと、「必要な睡眠時間は加齢とともに長くなるか、短くなるか」といったクイズに回答してもらう。アウトプットを促すことで理解を定着させ、誤答した場合は解説を読んで学び直してもらう仕組みだ。そして最後の事後アンケートで、自身の行動選択を促し、「自分ごと」として次の一手を意識させる流れとなっている。
dヘルスケアを活用し、ミッションを通じて健康関心層の認知を高める
NTTドコモの奥山貴則氏も、摩擦のない体験設計が重要だったと語る。
「自分が睡眠に悩んでいるとまったく思っていなかった方々に、いかに『実は自分も不眠症の初期段階なのではないか』という気づきを得ていただけるかが鍵になります。そのため、今回は年代など特定のターゲティングをせず幅広い方にミッションを配信。アプリのミッションを通じてクイズ形式で楽しく学んでいただき、『もう少し詳しく知りたい』と思ったタイミングで自然とエーザイ様のサイトへ遷移していただくという流れを意識しました」
NTTドコモ マーケティングソリューション本部 マーケティングDX推進室 主査 奥山貴則 氏
プロセスを経た気づきが「意識変容」に直結
この「事前事後の可視化」と「クイズによるエンタメ性」を掛け合わせたコミュニケーションプロセスは、送客の数字として明確に表れた。ミッションの参加から、エーザイの疾患啓発サイトへ遷移したユーザーは1カ月間で約17万人に上り、送客率は80%を超えた。
注目すべきは、送客の“質”と明確な“意識変容”だ。事後アンケートでは、98%のユーザーが「睡眠改善のために何らかのアクションをとる」と回答。医療機関への相談意向にも変化が見られ、事前アンケートでは、日中に眠気や疲労感を感じているユーザーの約7割が「相談するほどの症状ではない」「相談したことがない」と回答していた。しかし事後アンケートでは、「3カ月以内の相談を検討している」が6%、「今後何かあれば相談したい」が44%と、回答者の半数が受診を視野に入れる結果となった。これはミッションに参加した全体の約2割に相当する規模であり、本施策を通じて多くのユーザーが医療機関の受診に対して前向きな意識へと変わったことになる。
事前と事後のアンケートで意識変容を実感
エーザイの小野田智氏は、ユーザーの持つ「思い込み」をクイズで解きほぐしたことが、この結果につながったと分析する。
「不眠に関しては、『自分は正しいと思っていたことが実は違った』というケースが多いと思われます。例えば、『加齢とともに生理的な睡眠時間は短くなる』という事実を知らず、『昔のように8時間眠れない』とプレッシャーに感じてしまう方がいます。そのような誤解をクイズを通じて解き、『間違っていたんだ』と気づいていただく。この能動的な体験を通じたプロセスが行動変容への大きな推進力になりました」
エーザイ 製品戦略推進部 小野田智 氏
「個」を超えてコミュニティへ広がる波及効果
さらに、ユーザー自身が認識していなかった課題を発見する体験を提供したことで、その「気づき」が本人だけで完結せず、同居する親や家族へと自然に波及した効果も見られた。
「事後アンケートの中で、『両親と不眠症について会話をしたいと思った』と答えた40代〜50代の方が多くいらっしゃいました。コンテンツを通じて不眠症と認知症の関わりなどを知り、ご自身のこととしてだけでなく、家族の健康課題として自分ごと化してくださったのです。また、80代の方は自分自身の課題として深く受け止めていました。
本施策をきっかけに家族間で睡眠や健康に関する『対話』が生まれ、現状を正しく把握することで、家族全体が抱える見えない不安の解消につながっていく。個人の健康行動の最適化にとどまらず、家族というコミュニティ単位での『心の健康(ウェルビーイング)』までを底上げできるという事実は、我々としても、本質的な課題解決に向き合うCRM戦略において極めて重要な示唆を得た事例となりました」(牛窪氏)
今回のエーザイとドコモの取り組みは、社会的な環境変化も追い風にしてさらなる進化を見据えている。
「2026年の6月から、18年ぶりに新たな標榜科として『睡眠障害』が認められました。これまで『精神科は少し敷居が高い』『どこに行けばいいかわからない』と悩んでいた方にとって、受診しやすい環境が整いつつあります。当社の『睡眠相談ナビ』を通じて、睡眠障害を診ている施設と患者様をよりシームレスにつなぎ、早期受診・早期治療に貢献していきたいと考えています」(小野田氏)
ドコモ側も、次なる効果検証のあり方を模索している。今回、ドコモの子会社が運営するオンライン薬局・診療プラットフォーム「ミナカラ(minacolor)」において、施策期間中に不眠症関連の受診予約への遷移が確認されるなど、情報接触から受診行動までを捉えるフルファネルでの効果計測に向けた確かな手応えを得た。
「今回は啓発領域であり、処方や受診履歴はセンシティブな個人情報になるため、検証は送客のアクションや人数ベースの計測に留まりました。今後はユーザー様の同意をしっかりと得ながら、クライアント企業へのフィードバックの質をさらに高められるよう、検証手法のアップデートを引き続き検討していきます」(牛窪氏)
「自社サイトで待っているだけでは、真に情報を必要としている潜在層には届きません。ドコモさんのような、生活者の日常に寄り添うプラットフォームと掛け合わせることで、コミュニケーションは初めて『人を動かす』力を持つ。テクノロジーとデータを活用した啓発活動を、これからも長期的な視点で続けていきたいです」(谷長氏)
エーザイ×ドコモ 協業による施策のポイント
・単に情報を「届けるだけ」では人が動かないというエーザイの課題に対し、不眠症の自覚症状がない膨大な潜在層(予備軍)に対し、日常の動線上で自発的な気づきを与えることで、高いサイト送客と確かな行動化を両立。
・MAU約120万人を誇る「dヘルスケア」を活用し、日常ミッションを通じた対話型フローを構築。潜在層の睡眠への知識を高め、自身の症状を客観的に自覚、「自分ごと」にさせたことで、98%のユーザーが行動変容の意欲を示す高い成果を創出。
・コンテンツを通じた学びは、接触した個人(40〜50代)のQOL向上にとどまらず、「両親の不眠」という家族の健康課題へと視点が拡大。家庭内での「対話」を創出し、個人の行動から「家族全体のウェルビーイング向上」というコミュニティ単位での課題解決へと発展。
・自ら課題を認識していない潜在顧客に対し、プラットフォームデータと最適な体験設計を掛け合わせて「自発的なアクション」を引き出すこの構造は、ヘルスケア領域にとどまらず、幅広い業界・商材のマーケティング課題に対するコミュニケーション手法として再現可能。
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株式会社NTTドコモ
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