大阪の新世界市場に始まり、文の里商店街、伊丹西台、そして宮城県女川へと広がっていった「商店街ポスター展」。月刊『広報会議』では2015年3月号から全5回にわたり、仕掛人である日下慶太さん(電通関西支社)によるコラムを掲載してきました。アドタイでは、『広報会議』本誌では掲載できなかった部分や、改めて加筆した完全版として全5回にわたりお届けします。
第4回「宮城県女川町・大分県大分市・鹿児島県さつま町ポスター展」の回はこちら
いよいよ最終回となった5回目。なんとか打ち切りにならずにここまでやってききた。というわけで最後は総まとめ。どうして、商店街ポスター展は成功したのかという分析をしながら、自身がつかんだ広報のテクニックを惜しげもなくここに披露いたします。永久保存版ですよー、これ!
ネットからテレビへ「バズった」流れを総括
イベントは1日で終わる。テレビCMは長くても3カ月、短いと1週間。交通機関のポスターもほとんどが2週間でなくなってしまう。新聞・雑誌は残るには残るが、どこかに積まれて資源ゴミとなる。広告というものは残らないものがほとんどである。
しかし、商店街ポスター展のポスターはずっと残っている。新世界市場のポスターは初掲出からそろそろ3年になるがまだ商店街に掲出されている。文の里商店街も2年になるがまだ残っている。伊丹西台の商店主たちも残すことを決めた。女川でも同じく。ポスターがずっときれいなまま残っているならば、きっと永久にそこに残るであろう。ポスターが残っている限り、ポスターはずっと機能し続ける。
人の目に留まり、足を止めてもらい、スマホで写真を撮り、店と客との話すきっかけになり、人々をそして地域を元気にし続ける。未だにポスターを見に訪れる人間がいるほどである。