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コラム

「広告」から「クリエイティビティ」へ【ACCプレミアムトーク】

小田桐昭賞受賞・村田俊平に聞いてみた「若手CMプランナーが“今”東京から九州に行ったワケ」

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【前回のコラム】「普通の大学生に聞いてみました。「普段、テレビ観てますか?」」はこちら

気鋭のクリエイターやメディア業界の人たちは、今とこれからの広告やメディアについてどう考えているの? ACCならではの視点で、これからの広告のカタチについてお聞きしていくシリーズ企画「ACCプレミアムトーク」。今回は、全国数多いるクリエイターの中からACCの個人賞とも言える2015ACC小田桐昭賞を受賞した電通九州・村田俊平さんに、今年10月28日に行われた第55回ACC CMフェスティバル贈賞式の合間を縫ってお話をうかがってまいりました。

(聞き手・文:博報堂ケトル 原利彦)

——ACC2015小田桐昭賞受賞、おめでとうございます!

小田桐昭賞といえばACCの賞の中でも、作品ではなく「個人のクリエイターの力」に与えられる、いわば個人賞ですよね。全国数多いる広告クリエイターの中から、九州を本拠地に活躍されている村田さんが今回選ばれたということは、ある意味、ローカルクリエイティブの勢いを感じさせる受賞でもありました。

そんな村田さんの、これまでのキャリアをおうかがいしてもいいですか?

村田 俊平 氏

村田:僕は今年、社会人7年目なんですが、2年前までは電通の東京本社のクリエイティブ局で働いていたんです。そしてその頃、「電通九州が若干名クリエイターを募集しているらしいぞ」という話を聞きまして…自分でもいろいろ悩んだ末に、手をあげて東京の電通から電通九州へ出向しました。入社4年目の中頃ですね。

——おお、自分から志願して地方へ。何か、思うところがあったのですか?

村田:僕、もともとCMを作りたくて電通に入ったんですよ。ただ、ちょうどその頃、「360度対応、インテグレートブーム」みたいなのが社内で吹き荒れていた頃で、なぜかCMの仕事よりも、浮気心なのかそのあたりの領域の仕事が魅力的に見えて、そういう仕事を多くやっていたんですよね。

一方入社4、5年目と言えば、社内でもクリエイターとしての自分の芸風やイメージが固まりつつある、なんとも微妙な時期で、このままだと、CMプランナーになることすら危ういんじゃないか、と。「俺は一体、何をやりたかったんだ!?CMを作りたかったんじゃないのか?」という危機感を、突如覚え始めまして、違う環境への異動を考え始めたんです。

——なるほど。そして、CMプランナーとして電通九州に出向を申し出る、と。当時と言えば、ちょうどJR九州の『祝!九州新幹線』のCMが全国的に話題になっていた頃ですもんね。

村田:そうです。昔から九州と言えば独自性あふれるCM大国として有名でしたからね。自分でも、なんとなく気になっているうちに、タイミングがよかったこともありまして、福岡にある電通九州への出向が決まりました。

——でも、自分から志願して福岡に行ってみたものの、「しまった…俺、早まったかも!」って思った瞬間なかったですか?

村田:もちろんありましたよ。九州に行ったからと行って、面白いCMをガンガンすぐ作れるような甘いものでは決してないですから。九州における自分の働き方を見つけるのには相当苦労しました。そしてそんな中、同期の華々しい活躍の声も、ちらほら東京から聞こえて来たりして…ストレスとプレッシャーが半端なかったですね。ある時期、突然右の耳が聴こえなくなったりしましたもん(笑)。

——それ、笑えないですよ(笑)。

村田:ひっひっひ。でも、僕はCMを作りたくて自ら異動を申し出たわけですから、そういう意味ではたくさんCMで試行錯誤ができる本当に充実した、申し分ない環境が与えられたと思っています。そして結果的に、今回このような賞をいただいて、無理を言って家出した東京にも、迎え入れてくれた九州にもどちらにも少しだけ顔向けできる気がしています。

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