【前回コラム】「第3回・「広告というものは真実を表現する以外にない」~片岡敏郎の言葉~」はこちら
大橋鎮子は、いま視聴率20%を超すヒットのNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の主人公、小橋常子のモデルとしてようやく注目されるようになりました。鎮子が敗戦直後の昭和20年(1945年)、出版社の創業を決意したとき、金もなくコネもなく専門知識もなく、あるのは激しい「ヤル気」だけでした。人に使われているのでは25歳の女の身では金がつくれない、自分で創業し、これまで苦労をかけた家族を幸せにしたいという強い願いがあるだけです。
そんな中、花森安治という編集の天才と知り合った幸運が彼女の道を切り拓きました。花森安治は「異能の人」と呼ばれ、おかっぱ頭でスカートをはくききょう奇矯なファッションが世間の好奇心の対象になりましたが、本質は強い信念を持つ優れた編集者でした。
鎮子は新しくつくる雑誌のすべてを花森に任せ、自分は裏方に徹しました。嫌なこと、苦しい仕事は自分で引き受けました。花森安治の個性が見事に花ひらいたのは鎮子の万全の支えがあったればこそ。安治と鎮子は雑誌づくりの稀に見る名コンビでした。
「女の人に役に立つ雑誌。暮らしが少しでも楽しく、豊かな気分になる雑誌、なるべく具体的に、衣・食・住について取り上げる雑誌。」この方針のもとに、まず「衣」に焦点を絞り、「スタイルブック」という本を発行する計画を立てました。(敗戦直後、食べ物は配給制、焼け野原の街はバラックの仮設小屋がたち、とても食や住の記事はつくれません。)
この時点でまだ事業資金のあてはないのです。「日本中に出版物を売る発行所は銀座に事務所があったほうがいい」という花森の主張で銀座にビルを借り、計画ばかり進んでいきました。昭和21年(1946年)、妹のツテで事業資金が提供され、ついに事業は具体化します。
出版社の名前は「衣装研究所」。創立メンバーは、花森安治と大橋鎮子、晴子、芳子の大橋三姉妹。少しあとに横山啓一(のちに晴子と結婚する)が経理担当で加わります。まさに家族経営です。社長は大橋鎮子。編集長は花森安治。しかしお互いに「鎮子さん」「花森さん」と呼び、のちになって組織が大きくなってもその呼び方は変わりませんでした。
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