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コラム

CSR視点で広報を考える

危機の現場で見え隠れする日本人の脆弱性

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ソフトランディングばかりを狙い続ける悪癖を是正せよ

最近、マスコミ関係者と日本人の危機管理能力について議論した。欧米人と日本人の本質的違いはどんなものか、意外にも議論は白熱した展開となった。

日本人はそもそも学校教育で意見をはっきりと主張する教育(ネゴシエーションスキルやプレゼンテーションスキルの専門教育)を受けていない。それはある意味プロフェッショナルスキルだが、その技術がなくても十分社会にとけ込めるため、あえてその技術は無視され続けている。さらに、“outstanding interpersonal skills with any different types of people”(誰とでも仲良くやっていける技量)があれば日本では出世できる社会構造に問題があると言える。

日本では「みんなで渡れば怖くない」が評価される文化。欧米では道を渡るにも“Please walk at your own responsibility.”と記載され、信号があっても最終的には自分の責任で渡れと示されている。

コーポレートガバナンス(相互監視)は形骸化。そもそも創業家一族によるオーナー支配の役員会(オーナーと経営が同一)には相互監視は形式的で、欧米のDirectors(オーナー)によるOfficers(雇われ経営者)に対する厳しい監視制度とは別構造。日本ではオーナーを中心に番頭がしっかり脇を固める経営構造。従って、誰もオーナー経営者の本質的問題を指摘しない。

日本人経営者の資質にMBA(経営能力)はあっても、危機管理能力はほとんど要件になし。欧米のオフィサーには危機管理能力は必須、いや必然である。

日本企業では、リスク管理を全社的リスクの抽出という視点から洗い出している企業は稀だ。したがって、企業が「危機」となるリスクを予め想定していない。その視点では常に「危機」が起きるとパニックとなり「想定外」と口走る。欧米では「危機」は想定外であっても、想定外そのものが危機と定義付けされていること、「想定外」を経験することは「initiation」(人生の通過儀礼)であるとの認識があり、パニックにはならない。

日本人は「危機が起きたときは、そのときに考えれば良い。どうにかなるものだ」という“follow the fortune”(運命に従う)という宗教観が強く、欧米における“Where there is a will, there is a way.”(意思あるところに道あり)というような積極的な危機回避の行動指針がない。(次ページに続く)

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