コラム

メディア野郎へのブートキャンプ

「スクープ」と「誤報」の曖昧な境界線とメディアが持つ影響力の本質

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なぜ、ネットメディアの「間違いは後から直せばいい」という態度は自分のクビを絞めるのか。

さて、前回のコラムでは、「メディア」という観測者・紹介者がそこに発生することで、「世界」が誕生し、成長していくプロセスについて、書きました。当たり前ですが、やはり、メディアには、「影響力」がありますし、ビジネス的には影響力のないメディアに存在意義はありません。そこで今回は、「メディアが持つ影響力」の構造について、根本から考えてみたいと思います。結論を先に言いますと、メディアには、そこでなされた予言自体を自己実現させてしまう傾向があり、この「予言の自己実現能力」こそが、メディアへの畏怖の念と、メディアの影響力の源泉であった。だからこそ、ネットメディアの「もし、情報の内容に間違いがあっても後から直せばオッケー!」という態度は巡り巡って、自らのクビを絞めることになるかもしれない、ということです。

よくメディアの影響力という文脈では、「読売新聞は今でも1000万部発行している。全国紙は腐っても鯛だ」とか、「テレビは死んだ、というけれど、家政婦のミタは、視聴率40%だ」などと、メディアとしてリーチした先にある視聴者や閲読者の数から、その影響力について語られます。もちろん、リーチ可能な人数は、メディアの影響力を考えるうえで、重要なファクターではありますが、そのことだけを考えるのでは、全くもって不十分です。前回コラムでの月刊『缶蹴り』のように今回も、実際にありえそうなことをケーススタディとして取り上げます。2週間ほど前にエルピーダというオール日の丸の期待を背負ったメモリメーカーが経営破綻し、メディアの注目を集めたことは皆さんご存知と思います。

エルピーダの経営状況が苦しく、資金繰りに困難をきたす可能性があること自体は、以前から金融業界の関係者の中では認識されていました。しかし、第三者からの事業提携とそれに伴う出資などの可能性も残されており、ただちに破綻するわけではないということも、直前の株価にそれなりに値が付いていた状況から明らかでした。つまり、エルピーダの経営状態は「大変に微妙だが、すぐに倒産すること必至ではない」というようなグレーな状況だったわけです。実際には、「会社更生手続きの開始」つまり経営破綻は2月27日の午後に発表されたわけですが、皆さんここで、この発表直前の2週間くらい前の状況を想定してみてください(あくまで架空のケーススタディです)。

日経新聞のA記者は、「エルピーダの財務担当者への取材や、IR資料を分析した結果、どうやらエルピーダの資金繰りが3月末で行き詰まる可能性が濃厚であり、救済候補と目される提携先の米国M社からの出資提携の話も、先方のCEOの心変わりから行き詰まることが確実となった。さらには、これまでエルピーダに融資してきた銀行団も事業提携先が決定しない前提での追加融資には極めて否定的だ」という事実を、丹念な取材のうえに突き止めます。そして、この状況は、近日中にエルピーダが経営破綻する可能性が極めて高いということを意味します。こういう状況になれば、デスクのチェックなどを経たうえで、「エルピーダ、経営破綻へ」というような一面記事が、会社発表より以前に、日経の一面に出ていた可能性もあり得たわけです。

このような(予測)スクープ記事が、社会から一定の信頼を得ている一流経済メディア(日経、ロイター、ブルームバーグあたり)に掲載されると、その後に、何が起こるでしょうか?筆者はライブドア事件でライブドアが強制捜査から上場廃止へと向かうときに、ライブドア社内に在籍していたのである程度、想像が付くのですが、経営破綻の懸念のある会社から見て、仕入れ先にあたるような会社の営業担当者からの電話が朝から鳴りまくって「おたくは、与信的に問題があるので、今後の取引、追加での納入は考え直したい」と言われまくる可能性が大です。当然、取引先もビジネスです。もうすぐ経営破綻する可能性が濃厚で、代金を取りっぱぐれるリスクがある会社と、何も考えずに、そのまま取引継続することはできません。

しかし、ここで問題なのは、ビジネスというのは様々な仕入れ先との取引があって成り立っており、納入業者からの取引打切り、あるいは経営破綻リスクを理由にした商談キャンセルが相次ぐと、すでに不振に陥っていたビジネスに対して、最後の「とどめ」的な大打撃が実害として発生し、企業としての死期を早めてしまうことです。ライブドアの場合は、データセンターも社内だったために大いに助かりましたが、例えば、もし、あの場面で、上場廃止へと向かうライブドアのようなネットメディア企業があって、そのサービスを運営する基盤であるデータセンター企業から、「与信的に問題があるので、データセンター提供を打ち切る」と言われ、実際にサーバの電源が落とされてしまったら、その時点でゲームオーバーだったかもしれません。本来的には、メディアで報じられた記事というものは、その時点では、ある事実状況を取りまとめ、それを解釈したうえでの「情報」にすぎないはずなのですが、それが「信頼されるメディア」に掲載されると、その事実自体が、現実の社会において、ある意味では「独り歩き」を始めます。結果として、実際にポータルサイトで言えば、データセンターや天気情報・ニュース情報提供などの取引先が逃げ、訪問ユーザーも逃げ、広告主も逃げ、社員も退職が相次ぐことになります。このようなプロセスを経て、メディアが報じた時点では「観測・解釈・予測」にすぎなかったことが、実際の社会において「現実」になります。

ある意味では、誤報スレスレのいわゆる飛ばし記事でも、タイミングの妙と、記者自身も予測していなかった関係者の相互作用の中で、結果的に誤報にならずに「世紀の大スクープ」になってしまうこともあると言えるわけで、つまりは「予言が自己実現する」のです。この「予言の実現能力の高さ」と、いわゆるメディアへの信頼感・ブランド力・影響力とは、同じ事象を指すコインの裏表の関係だと筆者は思っています。

さてさて、メディアの信頼性やブランドを考える意味で、面白いと筆者が思う点をまた別角度から強調したいと思います。

これも架空の状況を想定した思考実験ですが、上記のエルピーダに関する記事と、情報としては全く、同じ文章・同じ取材内容・同じ事実を、例えば「東スポ」の記者が、もし仮に掴んで、全く同じ記事を掲載していたとしたら、結末はどうなったでしょうか。さすがに、取引先の担当者も「あの~、おたくの会社の資金繰りがヤバいって、東スポに書いてあったんで、追加の納入を打切りたいんですが・・・」とは連絡しにくいのではないでしょうか?

もし連絡しても「は??東スポの記事を真に受けないでくださいっ!!なんですか、そんな無責任な噂は!(怒)」となるかもしれません…。結果的に、その会社は取引先からの納入を継続することができ、エルピーダ的な状況において、別の提携先(例えば中国系ファンド)などからの出資が決まって、会社は破綻せずにすんだかもしれません(その意味では、結果的に、東スポは「誤報」を出したことになります)。

こと、ここにおいて容易にご理解いただけると思いますが、経済報道の分野において「予言を自己実現させる能力では、
日経新聞>>>>>東スポなのです。
(もし、東スポで、まじめに経済報道しようと思っている記者がいたとするなら、上記のような状況は、悔しくて夜も眠れないでしょうね)

筆者が思うに、一般に言われるメディアの「影響力」「信頼性」「ブランド価値(=高い広告単価をエンジョイできる理由)」の本質、あるいは、広報や経営層が一流メディアに無意識のうちにでも感じてしまう、「恐れ」にも似た「畏怖の念」とは、上記のようなプロセスを経て発生する予言の自己実現能力に対してのものです。だって、論理的な可能性としては、根も葉もない嘘ですら、自己実現させ、現実にしてしまう能力があるわけですから、神様みたいな存在ですよね。「触らぬ神に祟りなし」でヘンに睨まれない方が賢明です。そして、このような予言の自己実現能力は、関係者が自覚していようと、いなかろうと、それなりに規模のあるメディアには、大なり小なり程度の差こそあれ、備わっているものですし、それこそがビジネスとしてのメディアが成り立つ基盤でもあります。
次ページヘ続く

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