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時代の課題に応える、公共哲学の営為―対話を通じてエネルギー問題の解を探る

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小林 正弥(千葉大学大学院人文社会科学研究科教授)

震災・原発問題と公共研究

公共哲学は、時代の重要な課題に応え、学問の専門分野を超えて、しばしば対話を通じて公共的な問題提起を行い、実践的に寄与することを目指す。そこで、私は、3・11の東北大震災と原発災害という大問題に対し、まず2011年6月26(日)に公共哲学シンポジウム「震災後の正義の話をしよう――ポスト3.11の公共哲学」を開催し、さらに2012年3月3日に、公共研究(公共哲学を踏まえた、実証的・経験的研究)に関わる研究者たちと協力して、シンポジウム「震災・原発問題と公共研究」というシンポジウム(以下、公共研究シンポジウム)を企画した。

『人間会議』2012年夏号の特集「みんなで考えるエネルギーの未来」は、これらのシンポジウムを踏まえ、新たな観点を加えて発展したものであり、ここに登場する論稿をベースに、日本中でエネルギーの未来に関する実りある議論が展開されることを期待したい。その一助として、ここでは、各論稿の要点をまとめ、紹介しよう。

公共的討議と合意形成の方法が問われている

「震災・原発問題と公共研究」のもよう

今年3月3日に行われたシンポジウム「震災・原発問題と公共研究」のもよう(主催:千葉大学付属公共哲学センター)。公共哲学センターでは、国際シンポジウムや研究会を開催すると共に、インターネットを活用して公共哲学に関するネットワークを形成し、研究者と市民をつなぐ知的空間の創造と活性化を試みている。

2011年6月の公共哲学シンポジウムで登壇していただいた平川秀幸氏は、エネルギー政策の決め方に関し、公共的討議の方法について問題提起を行っている。これは、公共哲学にとって極めて重要な論点であり、私たちは公共哲学プロジェクトで、平川氏も含めて、たとえばコンセンサス会議のような公共的討議の方法について、熟議民主主義の試みとして議論を積み重ねてきた。

また、私とともに千葉大学で公共研究を推進している倉阪秀史氏は、環境経済学の専門家であり、上記の公共研究シンポジウムでは千葉大学学生の被災地へのボランティアについて話していただいたが、本特集ではエネルギー問題に関してバックキャスティング型の合意形成の必要性を主張している。

理想主義的現実主義の必要性

また、橘川武郎氏は、枝廣淳子氏(戸松義晴氏との対談参照)も発起人の1人である「みんなのエネルギー・環境会議」の設立趣旨にふれて、賛成派・反対派の原理的な二項対立を超えて、経済学・経営学の観点からリアルでポジティブな「原発のたたみ方」を主張している。私も、第1回「みんなのエネルギー・環境会議」(2011年7月31日)で、依頼されて基調講演を行った。対話型講義も、同じように不毛な二項対立を超えて議論を深めていくことを目指しているので、姿勢には共通性が高い。

公共哲学では、理想に基づいて現実的な方法を考える姿勢を「理想主義的現実主義」と言う。「エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議」による、再生可能エネルギーを推進する経営者ネットワーク会議の発足について紹介されているが、このような現実的な経済的取り組みは、まさしく理想主義的現実主義の現れと言えよう。

エネルギー・デモクラシーに欠かせない倫理的議論

既に『公共哲学からの応答――3.11の衝撃の後で』(筑摩選書、2011)を刊行している山脇直司氏には上記の2つのシンポジウムで講演をしていただいたが、本特集では、公共哲学の基本的な視点を説明しながらエネルギー・デモクラシーについて論じている。ここでは、ドイツでメルケル首相が設置した「倫理委員会」に言及しつつ、「科学技術の公共哲学と倫理」の必要性が指摘されている。

この委員会については、脱原発に踏み切ったヨーロッパ諸国についての熊谷徹氏のレポートでも詳しくふれられ、ドイツの政策転換において大きな役割を果たしたことが説明されている。これに対して、原発問題に関して日本政府は倫理的問題の専門家を委員にすることはなく、倫理的見解を傾聴する姿勢を持っていない。枝廣淳子氏も、総合資源エネルギー調査会基本問題委員会において何度かこの点を指摘している。だからこそ、「原発と正義」というような倫理的議論を日本において広げていくことが必要なのである。

原子力規制組織に市民科学の視点を

続いて、原子力利用において国民の安全を守るべき原子力安全・保安院が機能しなかったことへの反省を踏まえ、原子力発電所の安全のための規制組織を改革するための「原子力規制庁(仮称)市民会議」が報告されている。そのなかで、民意を取り入れた規制組織の必要性が論じられている。このような独立した規制組織は、後述するように、仮に「正しい原発(稼働)」というものがありうるとすれば、そのための必須条件と言うことができよう。

さらに、菅波完氏は、高木仁三郎の創設した市民科学にふれながら、規制庁のあり方について問題を提起しており、公共哲学も、「民の公共」というように、何よりも「民」ないし市民の活動が公共的な意味を持つことを重視している。高木仁三郎は、早くから、役所の言う「公益」と、本当の公共性・公益性」の相違を指摘していた* 。その意味において、彼の「市民科学」は公共哲学の主張する「民の公共」を体現する科学であり、いわば「公共科学」の先駆的一形態と言ってもいいだろう。

*1 高木仁三郎『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書、2000年)、4「個人の中に見る『公』のなさ」。

リバタリアニズムの限界とコミュニタリアニズムの意義

小林正弥

小林正弥(こばやし・まさや)千葉大学大学院人文社会科学研究科教授

私自身は、マイケル・サンデルの公共哲学ないし政治哲学を基礎にしながら様々なところでエネルギー問題に関する対話型講義を行い、『対話型講義 原発と正義』(光文社新書、2012)を刊行したので、上記の公共研究シンポジウムでは対話型講義の経緯やその内容を総括して、「震災・原発問題を巡る対話――コミュニタリアニズムの観点から」という報告を行った。このシンポジウムのパワーポイント資料や講演は、対話型公共哲学TVで視聴することができるので、関心のある方は御覧いただきたい。

大震災は天災でも、原発事故は基本的には人災であり、私たちはこの災害を正義の観点から問わなければならない。このような事態をもたらしたのは誰の責任であり、どのような考え方の帰結なのだろうか。リーマン・ショックがリバタリアニズム(自由に最大の価値を置く個人主義的な立場)の問題性を明るみに出したように、3.11の原発災害は、思想的には功利主義の限界を露呈させた。

他方で、大震災後の被災地での秩序正しい行動や助け合いは、世界的に感銘を与え、コミュニタリアニズム(共同体主義)的な考え方の意義を改めて自覚させるものだった。これを思想的な原理として多くの人びとが深く認識して生かせば、新しい東北や日本、そして世界の変化を引き起こす可能性も存在する。

正義の観点から原発問題を問う

そして、原発推進や再稼働の是非については、正義に適うかどうかという倫理的観点が不可欠であり、友愛や正義という理念に適わないものは廃止されなければければならない。この点についての議論の概要は、本特集の「政治哲学と仏教の対話――精神性に立脚する公共的発言」で要約した。その他の点について補えば、いま問題になっている原発再稼働問題も、「正しい原発」の要件が満たされているかどうか(必要性・安全性など)から判断されるべきだろう。前述の独立規制組織の存在は、この安全性の要件の中の1つをなす。そして、原発全体の問題にはまだ熟議が必要ではあるが、正義という観点からは、特に誘発地震などの可能性が高い危険な原発は、危険なものから順に廃炉にし、再稼働すべきではない。たとえば、浜岡原発や東海第2原発などの太平洋岸の原発はこの最たるものである。

福島第1原発の事故後の写真は、広島の原爆ドームを想起させる。そもそも、戦後日本の原点は、広島・長崎の被爆であり、この悲劇を伝えて核廃絶を訴えてきた日本人の努力は大きな核戦争の回避に貢献してきた。同様に、原発による被曝の危険性と恐ろしさを世界に知らせて原発を超えたエネルギー社会に移行することは、今後、世界的に懸念される原発災害を回避することに寄与するだろう。

このように、本特集の各論稿は、エネルギー問題や原発問題について、それぞれ非常に重要な点を論じており、それらのほとんどは公共哲学の観点からの議論と密接な関係を持っている。原発推進や再稼働について賛成するにせよ、反対するにせよ、多くの人びとがこれらを読んで自らの考えを深め、公共的に白熱した対話に加わることによって、エネルギー問題に対して最善の解決策へと到達することを望みたい。

『人間会議2012年夏号』
『環境会議』『人間会議』は2000年の創刊以来、「社会貢献クラス」を目指すすべての人に役だつ情報発信を行っています。企業が信頼を得るために欠かせないCSRの本質を環境と哲学の二つの視座からわかりやすくお届けします。企業の経営層、環境・CSR部門、経営企画室をはじめ、環境や哲学・倫理に関わる学識者やNGO・NPOといったさまざまな分野で社会貢献を考える方々のコミュニケーション・プラットフォームとなっています。
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