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コラム

HOTに行こうぜ!ワンパクの考えるオウンドメディアの未来

“Webサイト制作”という言葉じゃもう、語れない!

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エンジニア、ダンサー、Webデザイナー…のちワンパク

みなさん、はじめまして。毎日HOTに仕事もプライベートも楽しんでいますか?この度、アドタイのコラムで連載を担当させて頂くことになりましたワンパクの阿部です。このコラムでは、これからのオウンドメディアを中心とした企業コミュニケーションをいかに生活者に有益なサービスプラットフォームとして進化させるか、そのための様々な課題やプロジェクトの進め方、チームビルディングなどのお話を中心にしていく予定です。また「なぜ、Web制作会社の代表がそんなことを語るの?」と思うでしょう。まずはそれらをお話していく前に今回は僕がこれまでやってきたことを簡単にお話しておきましょう。

僕は元々、宮城県名取市という田舎で、山と田んぼの中を走りまわり、虫や魚、犬、猫、兎、鶏などの沢山の動物たちと共に自由に育ちました。小学校が終われば毎日自転車でものすごい坂を駆け上り、樽水ダムへ釣りへ、小学校から始めたバスケは中学、高校まで続け、学ランを特注で仕立てたり、ちょっとやんちゃな感じでリアルタイムでスラムダンクな世界を過ごしてました(まあそんなに格好良いものではありませんが)。そんな僕を見ても「あら、素敵ね」という、ちょっと変わった、ロックでアーティスト気質な母に育てられました。

元々独立心の強かった僕は、工業高校を卒業した後、東京で自動車メーカー系のエンジニア会社に就職し、ユーザーインターフェースのエンジニアとして日々図面を書き、海外を含む様々な法規やガイドラインを調べ、試作品をつくり、テストをし、その結果を踏まえ、図面を改訂するということを8年程やっていました。当時を振り返ると、そこではものづくりの楽しさ(大変さ)、プロジェクトマネジメントの基礎知識、ユーザーインターフェースやプロトタイプの重要性を学ぶことができ、今の仕事にもつながっています。

その後、NYに留学していた友人の影響でWebデザインに興味を持ち、趣味でWebデザインを始めた後、公募で立ち上がったばかりのIT部門でWebデザインができるということで異動しました。しかしながら、企業のIT部門の中でそれほどWebデザインという仕事も数多くあるわけでもなく、展示会やカタログのツールのデザインをやったり、Webサイト制作の仕事を取るための企画書を書いたり、社内の3DCADデータをWeb上で有効活用する研究(当時Web3Dといういくつかの技術が流行った時期があった)するために事業計画書を作成して、予算確保して研究したり、いつの間にかWebデザイナーという役割は形骸化していきました。

そんな中、サラリーマンだった僕は食い扶持を確保しなければならず、販売会社の営業支援システムや、企業が環境報告書を作成するための化学物質の排出量を算出するシステムのテクニカルディレクターも任されることになりました。開発メンバーは日本に来たばかりの中国人エンジニア3名。最初はカタコトの日本語と英語に漢字での筆談の日々。そのうち1名のエンジニアの日本語が1年経たないうちに格段にレベルアップしたため結果的には事なきを得ましたが、Enterprise JavaBeansとJava WebStartという当時でもマニアックな技術でサーバクライアントのシステムを開発したり、VBとSQLサーバでシステム開発したり、当時流行りだしたLAMP(Linux、PHP、MySQL or PostgleSQL)などのオープンソース系のサーバサイドスクリプトなどをいじったりしていました。

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20代、サラリーマン時代の写真。この頃のダンスと仕事の経験がいまに生きています。

最終的には中国人エンジニアの方々とは富士山に一緒に登るくらい仲良くなったのですが、やはり自分はもっとクリエイティブなことをやりたいという思いが強く、28歳で転職することを決意しました。また、当時の僕は20歳過ぎからダンスをやっており、仕事は好きだったものの、何を勘違いしていたのかサラリーマンは食べていくため手段だと思っていました。今考えると、とても笑える話ですが、結果的に我慢してやっていたシステムの仕事は今の自分のテクノロジーの知識の基礎になり、ダンスでは表現することや演出することを学びつつ人前で緊張しないハートを手に入れました。

インタラクティブエージェンシー”的”なポジションを目指す

ところがクリエイティブへの熱い想いを胸に、転職活動を開始したものの、様々な有名どころのWeb制作会社に面接を申し込むも、ことごとく書類審査で落選。2次面接で会う機会をもらっても、当時から金髪で目つきの悪い僕の印象は最悪な野郎な訳です。たぶん10社位は落ちました…。でも今考えると、その時、全ての有名な制作会社に落ちていなかったら、今の僕はいないわけで、当時落としてくれた人事の皆さんには感謝しています(笑)。

そんな中、拾ってくれたのは青山にある広告代理店系列のWeb制作会社でした。当時はプロモーションなFlash案件全盛期。オンラインを中心としたプランニングからキャンペーンサイト・映像の制作なども手がけ、実績に乏しかった僕はとにかく突っ走り続けました。その甲斐あって、徐々にクリエイティブで先進的に見える仕事が増えていきました。もちろんチームの人数も増えました。1カ月400時間近く働いたこともありましたが、毎日が楽しく充実していました。

しかしながらどんなに徹夜して、チーム一丸となってつくっても、サイトは公開から3カ月で無くなってしまう。そんなことを繰り返している中、R社さんのサービスを立ち上げる案件をいくつかお手伝いする機会を頂きました。それはまさに新たな事業を立ち上げるためにマーケティング、クリエイティブ、テクノロジーなど様々な力を持ったメンバーが集い、議論し、ビジネスのゴールが何でどこを目指し、事業をどう成功させるのか、プロフェッショナル達が本気でぶつかり合いながら進んでいくというプロジェクトでした。さらに当然ながらその先もどう効果測定・検証し、改善しながら育てていくかという視点を持ち合わせていなければなりません。そういった案件に携わったおかげで、自分の中にこれまでやってきた短期的なキャンペーンサイトをつくり続けるということが、本質的に自分たちの目指す方向なのかという疑問が芽生え始めました。

その結果、行き着いた一つの方向性が、短期的に消費されて終わるクリエイティブではなく、中長期に育てるという観点のものに自分たちのクリエイティブな力を生かしていきたいということでした。

具体的には企業のオウンドメディア構築やサービス開発やプロダクト開発に戦略・施策策定から関与し、クリエイティブの力で企業のビジネスの課題解決やコミュニケーション上の課題解決を行うこと。ワンパッケージでヒト、モノ、コト、アイデアを組み合わせて最適なアウトプットを行うというスタイルです。

しかしながら、これはもはやWeb制作会社という括りで語れる領域ではありません。どちらかというと海外のクリエイティブエージェンシーや、AKQAやR/GAなどのデジタルエージェンシーというポジションに近いなと。それであれば新たな価値を持った会社をつくるしか無いと思い立ち、2008年にワンパクとして独立するに至りました。

それからというもの5年間、必死に今日まで突っ走ってきましたが、最初からそんなにうまくいくわけがありません。周りから見たらワンパクは単なるWeb制作会社に見えていたと思います。しかしながら僕たちは“HOT”な想いを胸に常に言い続けました。「僕たちは企業のコミュニケーション上の課題解決をクリエイティブとデジタルの力で解決するインタラクティブエージェンシー”的”なポジションを取っています!単なるWeb制作会社ではありません!」。

その甲斐あってかどうかはわかりませんが、5年目以降、徐々に仕事の頼まれ方や内容そのものも変わってきました。例えばですが、企業が新たなサービスやメディアを立ち上げるのを戦略や施策から一緒に手伝って欲しいのような頼まれ方が増えてきたということです。

これらは単なる広告的な観点だけではなく、社会の中で企業が生活者とどのように向き合い、有益な体験や価値を提供し、関係性を構築していくかという本質的な部分の重要度が増してきているからだと感じています。そのためには企業がオウンドメディアをどのように活用していくかを考えていく必要があります。

今回は僕とワンパクの紹介が中心でしたが、次回からはオウンドメディアを中心とした企業コミュニケーションのこれからのあり方、課題解決のためのプロジェクトの進め方、チームビルディングの方法など、これまでの仕事を通じて得た知見やノウハウも織り交ぜながら、これからのHOTな企業の情報発信のカタチについて提案していきますのでお楽しみに!