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2020東京五輪 戦略広報が明かす勝利の方程式(1)―オールジャパン!!

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9月7日(現地時間)、56年ぶりとなる2020東京五輪の開催が決定した。最終プレゼンの様子は多くのメディアで紹介されているが、そこに至るまで、どのような招致活動が行われてきたのか。

前回招致で国際広報マネージャーを務め、今回の招致では招致委員会戦略広報部シニアディレクター代行として2年間の招致活動にあたった高谷正哲氏が3回にわたり、勝利の理由を広報視点で読み解きます。

高谷正哲(東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会 戦略広報部シニアディレクター代行)

マッキャンエリクソンにて営業に5 年間従事した後、渡米。シラキュース大学にてPublic Relations(広報)の修士号を取得。帰国後、大阪世界陸上にてインターン。2007 年11 月より東京オリンピック・パラリンピック招致委員会にて国際広報に従事。2010年2月、International Triathlon Union(国際トライアスロン連合)Media Managerの職に就き、本部バンクーバーを拠点に世界トライアスロン選手権シリーズなどの広報業務に従事。2011年9月より現職。

オールジャパン!!

2009年10月2日、コペンハーゲンのIOC総会でリオに敗れた後のこと。ホテルのバーで「もう1回やればきっとうまく行くのになあ」と当時の招致委員会の職員同士で語り合ったことは今でも覚えている。本当に2回目の招致に関わることになるとは、さすがに想像していなかったが。

その後、国際トライアスロン連合(ITU)の広報の職に就いたことは本当に幸運な事で、IOCの広報や国際競技団体の広報との関係も構築することができた。2011年9月に帰国してからの招致活動においては、そういう人間関係と前回招致の反省・経験をフル活用して仕事に没頭することができた。

この記事を書く機会をいただき、戦略広報の視点でこの2年間を振り返ってみたいと思う。

前半戦最大の課題は国内支持率

「30人31脚みたいなイメージ。」招致活動を、TV番組でかつて流行ったそれに例えた招致委員会の上司がいたのだが、いまだに良く言い得た例えだなと思う。

明快なゴールが目前にある短距離決戦。急ぎたくなるけど、関係機関との複雑な調整があってはじめて一歩一歩が踏み出せる。2年間という期間限定の組織が招致委員会。そこでは、行政、民間企業、スポーツ界、各団体から、全く異なる職場文化で育った社会人が集って働いている。それぞれの脚質が違うから息を合わせるのは易しいことではない。開催都市決定の9月7日に、ゴールラインの向こうに敷かれたマットに同僚全員でなだれ込む、そんなイメージがいつも頭の片隅で躍る招致活動。微かな脆弱性を常にはらみながらも、「オールジャパン」というコンセプトは、最終局面に向けて日本の代表団が真に一枚岩になる感覚をもたらした。


IOC総会東京プレゼンテーション Photo: Tokyo 2020 / Shugo Takemi

振り返ること2011年7月、日本体育協会の100周年記念事業とアジアオリンピック評議会(OCA)総会が併催され、IOC委員も集う祝賀式典の席上、東京のオリンピック・パラリンピック招致が正式にアナウンスされた。

当時私は前職の国際トライアスロン連合(ITU)でバンクーバーにいたが、オリンピックの業界メディアを通じてこの象徴的な発表を目にすることができた。式典の壇上にIOCのロゲ会長(当時)と並ぶ日本のスポーツ界を支えるトップリーダー。内外の関係者に「オールジャパン」を印象づける最高の旗揚げだったのではないかと思う。

夏をまたいで9月15日には第1回の理事会が開催され招致委員会は動き出した。前回招致の反省もあって、前半戦の目標は非常に明確だった。アキレス腱となった国内支持率をいかにIOCの調査までに克服するか。既に「オールジャパンによる招致」は関係者の標語のように語られていたが、当初は主にこの国内対策の意味で使われていたと思う。

同年11月28日、前回招致には無かった評議会という組織が作られ、政府、経済界、スポーツ界、東京都、全国の関係団体などから、錚々たる各界のトップ64人(当時)が就任した。「オールジャパン」の象徴的な組織である。


第1回評議会2011年11月28日 Photo: Tokyo 2020

招致機運を拡大していくため協力の手は関係団体から直ぐに差し伸べられたが、当時招致委員会の事務局には十数人のスタッフしかおらず、戦略広報部に至っては私1人のみ。関係者からの声に完全に応えることができないもどかしい時期が続いた。結果、2012年5月に発表されたIOCの調査では、支持率わずか47%(都内)。

それがやがて、事務局の組織強化→ロンドンでの日本選手の活躍(オリンピックで史上最多数のメダル獲得)→全国的なプロモーションと、歯車が噛み合い、2013年3月にはIOCの支持率調査で70%(都内)、67%(全国)という合格点を得るに至るのである。

招致機運は上昇を続け、同3月の招致委員会の独自調査で77%(都内)を達成。この頃になると、街頭のあちこちで招致PR映像が流れ、ポスターは全国で掲出され、招致のピンバッジを胸につけている人を良く見かけるようになった。スポンサー企業のTVCMで招致が大々的に応援されるのを見て、身が引き締まるような気持ちにもなった。前回招致では達成できなかった空前の盛り上がりである。

ポジティブなスパイラルは、国際コミュニケーションにも派生していく。今年5月から国際会議やIOC委員の前で計4度のプレゼンテーションを実施した中で、「日本人のスポーツに対する情熱」については、ロンドン直後の銀座パレードの映像を通じて鮮烈にオーディエンスに植え付けることができた。ピンバッジを550万個配布(2013年5月時点)したストーリーも、国際メディアのIOC担当記者の興味を大いに駆り立てた。

≫ 次ページ「アメリカ人記者が伝えた被災地の招致熱」へ続く