【前回のコラム】「「すべては”自分ごと化”から始まる。それができなければ、内発も気づきも行動も生まれない」――オールアバウト 江幡哲也社長に聞く」はこちら
5年前に「最もイノベーティブな会社」を目標に掲げたTBWA\HAKUHODOは、博報堂とTBWAという異なるカルチャーを融合させながら独自の発展を遂げてきた。「Advertising Age」誌や「Campaign」誌が広告会社を対象に行うアワードで選ばれるなど、国内外の評価も高い。創設時から経営陣として同社を率いてきた座間一郎社長は、広告会社の次なるビジネスのあり方を模索しながら、すでに様々な布石を打っている。座間社長に人材の育成方針のほか、同社が目指す将来像について聞いた。
いつまでも広告「代理店」と呼ばれていたいのか?
——TBWA\HAKUHODOの成り立ちについてお聞かせください。

座間一郎(TBWA\HAKUHODO 代表取締役社長兼CEO)
博報堂とTBWAワールドワイド(※1)がそれぞれ出資して2006年8月に設立された会社です。私は副社長として立ち上げからかかわり、2009年から社長を務めています。
博報堂とTBWAが初めて手を組んだのは1990年代のことです。日産自動車がヨーロッパ市場を担当する広告会社を決めるピッチ(コンペティション)の際に、博報堂とTBWAのジョイントベンチャーで参加したのが最初です。2000年に日産がグローバルでコミュニケーションをコントロールしていく体制に移行したのをきっかけに、博報堂とTBWAの協業体制をより進化させることで、日産をはじめTBWAの持つグローバルアカウントの日本でのさらなる成長を目指し、現在の形に至っています。
——博報堂とTBWAの企業文化をどのように融合させてきましたか。
異なるカルチャーが混ざり合うわけですから、ワークショップを重ねるなど融合と言えるまでには時間をかけてきました。
私が社長を引き継いだ2009年ごろ、COO(当時)のルイス・ディアンダとも話し合って、「TBWAの日本での拠点であることを明確に打ち出そう」と決めました。もちろん博報堂は日本で知名度も信頼感もありますが、同じ市場で「ミニ博報堂」を名乗っていても我々に存在価値はありません。TBWAとはどんな会社であるのか、その考え方やスタンスを前面に出していくことを全社員と共有したのです。