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コラム

澤本・権八のすぐに終わりますから。アドタイ出張所

クリエイターは1つの分野にこだわらなくてもいい!(ゲスト:馬場康夫さん)

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いろいろやっているけど、アイデンティティは「広告屋」

権八:映画以外にも『見栄講座』や『東京いい店やれる店』などをずっと執筆されていて、本当にすごいバイタリティですよね。何人分もの人生を生きているみたいな。

馬場:映画監督もクリエイターも食っていかなきゃいけないから、いろいろなことをやっている人が多いですよね。たとえば、山本嘉次郎さんって黒澤明さんの映画監督の師匠は美食に関する随筆もたくさんあります。この人は“食の評論家”なのか、“映画監督”なのかわからないぐらい。さらに当時、テレビにもよく出られていて、クイズ番組の解答者もされていた。でも、今も同じで、小山薫堂くんとかすごいじゃない。

澤本:馬場さんは小山さんを含め、放送作家だった方と仲良いじゃないですか。あれはフジテレビの深夜番組で盛り上がっている人達とつるんでいたという感じですか?

馬場:つるんでいたというより、映画を一緒にやったスタッフが、フジテレビの“鹿内ジュニア”と言われた方(フジサンケイグループ初代議長鹿内信隆の長男・春雄氏)が面接・採用をした世代で、すごく元気がよくて。その人達と一緒に『カノッサの屈辱』とか『マーケティング天国』とかの深夜番組をやっていたんです。ぼくは日立製作所を辞める直前にフジテレビで映画のプレゼンをしたんですが、当時10万人近く社員がいた日立で、31歳の宣伝部員なんて、100万円の決裁権もないんですよ。

馬場:自分が自由にできるお金もなければ、何一つ決められないと言っても過言ではなかった。それをフジテレビでは当時26歳くらいだった小牧次郎くんが「これやりましょうよ」と言って、「小牧がやろうと言うのなら」という感じで上の人がOKを出して。その会議にも25、26歳の人しか出てこないんですよ。今考えてみたら26歳と31歳で「こういう映画をつくろう」と言って、お金を引っ張ってきて、映画公開して。今はその年代の人がガンガン決めることってないですよね?

澤本:ぼくらの周りではないですね。

馬場:当時のフジテレビは26歳でもかなりの決裁権を持っていて、それには度胆を抜かれましたね。ちなみに、小山薫堂くんは『マーケティング天国』のときにはまだ学生のアルバイトで、原宿のタレントショップの、確か吉田照美さんのお店の店長をしていましたね。まだ日芸の学生か、卒業したばかりだったかな。

澤本:そのあたりの人達が今はみんな大御所になって。さらに、みんな映画やドラマをつくったり、本も書いたりと。小山さんも馬場さんもそうだけど、専門職はこれって感じではない。これもやって、あれもやってと。ぼくはそういうのが羨ましいなと前からずっと思っていました。

馬場:でも、昔からそうですよね。クリエイターで詩を書くだけとか、劇を演出するだけという人は案外少ないですよ。じつは、みんないろいろなことをやっていると思う。ちなみに、ぼくは「肩書きは?」と聞かれたら「広告屋だ」と言っちゃいますね。

権八:広告屋ですか!?

馬場:アイデンティティは広告屋ですね。会社に入ったときから10年間やってきたのが広告だったから、いまだに広告をつくるということが本業で、映画をつくったり、マンガを描いたり、ラジオ番組をやるというのは、広告の延長線上で「お得意先が何をやりたいか」、「それに合わせてこういう風につくったらどうか」というつくり方をしているので。

澤本:それすごくわかります。ぼくらは良くも悪くもずっと広告をやってきている。だから、考えるときのベースが広告になって、脚本を書くときも“広告脳”で書いているから、他の人からすると独特の書き方に見えると言われました。いろいろな課題を与えられて、課題にブーブー言いながらも解決していって、ようやく解決したと思ったら、さらに上のおっさんにガーガー言われてとか。

馬場:ブーブー言わなくてもいいじゃない(笑)。

権八:違う課題がまた押し寄せてきてね。

澤本:ブーブー言いながらも解決策を見つけていくというのは、意外とぼくらみたいな広告をやっているというときに訓練をされているらしいよ。

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