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40代で出産、ベテランコピーライターで新米ママの本音—アサツー ディ・ケイ 神戸海知代さん

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【前回記事】「シングルマザーのデザイナーとして子どもを育てる—たき工房 藤本暢子さんインタビュー」はこちら

クリエイティブを一生の仕事にしたいと考える人に、今後のキャリアを支援するプロジェクト「しゅふクリ・ママクリ」。今回のインタビューは、ヤマサ醤油などのコピーで知られるADKの神戸海知代さん。広告業界に営業として入り、コピーライターに転身。その後、40代での出産など、これまでのキャリアを語ってもらった。

山あり谷ありの修行時代

——これまでのキャリアを教えて下さい。

私は関西出身で、最初に就職した会社は大広でした。営業に配属されたのですが、研修中の課題で書いたラジオCMのコピーで、実際の競合プレゼンに勝てたということがありました。実は就職活動の時にあまり業界研究をせずに広告会社に入社したのですが、自分の出したアイデアが採用され、制作の現場に立ち会ってみると、クリエイティブの部署にすごく行きたくなってしまって…。当時の部長に相談したところ、その方がまた良い人で「本当になりたいなら、一から勉強した方がいいんじゃないか。君はあんまり調べていないだろ」と言われて、「そうです」と(笑)。

そこで、宣伝会議の「コピーライター養成講座」専門コースを受講しました。講師をされていた現シンガタの佐々木宏さんから、広瀬正明さんがコピーライターの事務所を立ち上げると聞き、さっそく面接を受けて、アシスタントとして働かせてもらえることになったのです。広瀬さんはラコステやモスバーガー、ブライトリングなどの広告を手掛けたことで知られる方です。もちろん経験なんて全く無いので、お茶くみや掃除、月曜朝のミーティング用の朝食づくりなどをこなしながら、コピーを書かせてもらっていました。

Q:お子さんはおいくつですか。
神戸さん:7カ月です。7カ月過ぎたところです。写真見ます?

初めのうちは仕事として形になりませんでしたが、何度も何度も書いたり、書き直したりしていくうちに、モスバーガーなどいくつかの仕事で私の書いたコピーが制作物になりました。すごくボリュームのある仕事で、読み物や地域キャンペーンのツールなどを、事務所で徹夜しながら書いていましたね。

事務所は東京・港区の飯倉片町にあり、残業してもいつでも歩いて帰れるように、西麻布3丁目にすごく安い家を見つけて住んでいました。たまに仕事から解放されると、日頃溜まっていたものを発散してグワーっと飲んだり(笑)。

——ADKにはどのような経緯で入社したのですか。働き方は変わりましたか。

ADKに入ることになったのは、知人経由でのご縁です。それまでの仕事に対して不満は全くなかったのですが、貯金を切り崩していて、「このままいくといろんな人にお金を借りちゃう」という感じだったので。

同じコピーを書く仕事でも、5人のコピーライターの事務所と広告会社とでは、労働環境やスタンスが全然違います。貧困というところからは救われましたが(笑)、仕事が評価される尺度が変わり、当初は慣れずに苦労もしました。

コピーライターの事務所にいる時は、「より良いコピーを書こう」と書くことに集中できる環境がありましたが、広告会社はクライアントからのオーダーやコストなどの条件が複雑で、打ち合わせの数も全然違います。まずは、打ち合わせの内容を全て理解するのが自分の課題でした。「なぜ打ち合わせで課題が解決しないのか」「なぜ持ち越しになるのか」「なぜ議論を覆してしまうのだろう」とか、そういったことに慣れるまでしばらく時間がかかりましたね。

諦めてからの妊娠

——結婚から妊娠までを教えてください。

結婚は、偶然ですが平成10年10月10日です(笑)。旦那さんは、大広時代の同期です。出産については、家族計画があったわけではなく、まさか自分が母親になるとは思っていませんでした。というのも、38~42歳くらいまでの約5年間、妊活していたのですが、なかなか上手くいかなくて。通院して、お薬をもらっていたのですが、最後は「もういいや」という感じで、諦めることにしたのです。

諦めた理由は、良い兆しが無かっただけでなく、薬で体調を崩してしまうことが大きかったです。私は元々風邪をひいても薬を飲まないくらいに薬が嫌いなのですが、投薬療法とタイミング療法だと、「しんどいな」「気持ち悪いな」と思っても薬を飲まないわけにはいかないのです。でも、チャンスがあるかもしれないと思うと辞めることができず、辛かったですね。

ところが、妊活を辞めた2年後に妊娠が発覚。もう子どもはできないものだと思っていて、夫婦2人で自由に過ごそうと考えていた矢先の自然妊娠でした。それも偶然、別の理由で婦人科に行った時に分かったのです。「10週ですよ」なんて言われて、本当にビックリでした。私も旦那も「これドッキリ?」って(笑)。見えざる手にチャンスをいただいたと思っています。

今回、このインタビューの話をもらい、「私にママとしてのインタビューなんて務まるかな」と不安に思っていたら、後輩の女の子が応援してくれたのです。きっと今一番、仕事や出産のことに関心を持っている世代の子が後押ししてくれたので、「取材を受けよう」と腹を決められました。

——妊娠がわかってからは、どのような働き方をしたのですか。

私はつわりが全然無く、産休に入るぎりぎりまでフルタイムで働いていました。産休直前に手掛けたのが、ファイザーの「こどもと、おとなの、肺炎球菌感染症対策」のCM動画です。

妊娠5か月でしたが、撮影にも立ち会いました。朝6時に渋谷へ集合し、ロケバスで移動。撮影する対象は、1歳6か月の男の子、4歳の女の子、7か月の女の子、2か月の女の子、5歳の男の子に2歳の女の子、そしてその家族。ちょうどこれから母親になろうとしていた自分にとっては、またとない貴重な体験でした。行く先々で、出演者の先輩パパや先輩ママにアドバイスをもらったり、お腹をさすってもらったり、幸せな撮影でした。

この頃は、妊娠して仕事をセーブせざるを得ないことが不安でした。でも、その気持ちを知ったCDはじめ、チームメンバーが、私のロケへの参加を温かく見守ってくれたことがとても嬉しかったです。

続きは、『しゅふクリ・ママクリ』「妊娠・出産の記録」へ続く

神戸 海知代(かんべ・みちよ))
兵庫県生まれ、滋賀県育ち。大広の営業、広瀬広告事務所のアシスタントを経てアサツーディ・ケイのクリエイティブに所属。2014年のクリスマスイブに男の子を出産、育児・家事・仕事に奮闘中。日経広告賞(三菱マテリアル)、文化放送ラジオCMコンテスト・天野祐吉賞(シャープ)、ACC賞、消費者のためになった広告コンクール(政府広報)、ロンドン国際広告賞(大塚食品)、TCC新人賞、日本雑誌広告賞・経済産業大臣賞(ヤマサ醤油)などを受賞。広告は心理学だと考え、きめ細かい提案と実践を常に心がけている。