#非進化論1:「続ける」覚悟は、プライドから生まれる。(料理人・青柳征司さん)

今回の仕事人

今回たずねた

仕事人は…アニヴェルセル みなとみらい横浜料理長 青柳征司さん

第1回目のお相手は、料理人の方です。広告の世界とは距離がありそうで、実は共通点が多々あるのではと考えていました。
青柳征司(あおやぎ・まさし)さんは、週末には1日で10組以上の結婚式が執り行われる、アニヴェルセル みなとみらい横浜の料理長。20歳でこの道に入ってから、今年で29年。その長いキャリアを積み重ねる中で、いかに自分を律し、技を磨いてきたのか?そして料理長の立場から考える「プロフェッショナリズム」とは?
目の前には横浜の美しい港が、頭上には澄み渡った青空が広がる式場のバルコニーで、腹にズシンとくるお話を伺うことができました。

 

「厳しい鍛錬の日々」は、やっぱり必要ではないか

渡辺:

料理人というと過酷な修行のイメージがありますが、料理の道を歩みはじめた頃のことを伺いたいと思います。やっぱり激しかったんですか?

青柳:

激しかったですよ。あまり言ってはいけないことかもしれないけれど(笑)、当時は言葉より手が先ですね。モノが飛んでくる時もありました。でも、実際、怒られるような失敗をしていましたし、それを体罰だとは感じていなかったので耐えられましたね。

渡辺:

修行期間中はお店に行くのが嫌になりませんでした?

青柳:

それは嫌ですよ。基本的に、当たり前のように怒られますからね。ただ、怒る先輩は嫌でも、料理は好きでしたからね。それに料理人は自分にとっての夢ですから。やはり夢があると頑張れます。

渡辺:

最近、夢があるって明確に答えられる人は減っていますよね。ちょっと辛いことがあると、そもそもこの業界が向いてなかったと言って、次の道に進む人が少なくない気がします。やはり、厳しい鍛錬の日々って大事だと思うんですよね。僕も博報堂時代はとても厳しいチームに在籍していたので、ノルマとして決められた本数のコピーを書かないと打ち合わせに入れてくれなかったり、コピーを書いても当然ダメ出しの嵐。辞めたいと思いながらも、少しずつ、書ける実感が持てるようになって、気づいたら一気に面白くなりました。ただ、今の世の中は、そういう厳しさを認めない風潮がある気がします。青柳さんの時代のように厳しく育てることが難しい現状に対して、フラストレーションはありますか?

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渡辺 潤平(コピーライター/渡辺潤平社代表)
渡辺 潤平(コピーライター/渡辺潤平社代表)

渡辺潤平(わたなべ・じゅんぺい)
コピーライター。渡辺潤平社代表。1977年生まれ。千葉県船橋市出身。早稲田大学教育学部卒業。2000年博報堂入社(第2MD局、第3制作局、第2CRセンター第5制作室)、2006年博報堂退社、同年6月よりground LLCへ参加。 同年12月よりフリーランスとして活動開始。2007年に渡辺潤平社を設立。

渡辺 潤平(コピーライター/渡辺潤平社代表)

渡辺潤平(わたなべ・じゅんぺい)
コピーライター。渡辺潤平社代表。1977年生まれ。千葉県船橋市出身。早稲田大学教育学部卒業。2000年博報堂入社(第2MD局、第3制作局、第2CRセンター第5制作室)、2006年博報堂退社、同年6月よりground LLCへ参加。 同年12月よりフリーランスとして活動開始。2007年に渡辺潤平社を設立。

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