コラム

四苦ハック人生 in Sanfrancisco

Ingress、ポケモンGOの開発現場。Niantic川島優志さんに聞く。【前編】

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左が筆者、右がNianticの川島優志さん

さて、日本でもとうとう「ポケモンGO」がローンチされました。皆さんも恐らくご存知の通り、一足先にリリースされたアメリカではもはや社会現象になっています。ローンチからたった一週間ですでにモバイルゲーム歴代最高のユーザー数を獲得し(!)、アクティブユーザー数ではTwitterを追い越しました。僕が住む比較的郊外でさえ、道を歩けばポケモンGOをプレイしている人と何度もすれ違います。アメリカに住んで12年、こんなことは初めてです。とにかく話題で持ちきりのポケモンGO、このゲームを任天堂と共同で開発している会社がサンフランシスコにあるNiantic, Inc.です。

Niantic, Inc.は元々Googleの社内スタートアップとして始まり、これまでにIngressというモバイルゲームを開発してきました。Ingressのゲームコンセプトは陣取りゲーム。ゲームフィールドは私たちが住む現実の世界そのもので、Google Mapsの地図情報を基にしています。ですのでゲーム内で陣地を獲得するため、ユーザーはその場所まで実際に歩いていかねばなりません。そうした現実世界とゲームの世界を融合したのがこのゲームの最大の特徴です。Ingressのヒットで成功を収めたNiantic, Inc.はその後はGoogleから独立し、Ingressで培ったデータやノウハウを基に、任天堂とポケモンGOを開発しました。

このNiantic, Inc.で活躍されている日本人のデザイナー、川島優志(かわしま まさし)さん。現在はNiantic, Inc.のアジア統括本部長として働かれています。また川島さんはNiantic, Inc.が生まれる以前よりGoogleで活動され、Googleのホリデーロゴ(通称Doodle)を担当した初めての日本人としても知られています。サンフランシスコのベイブリッジが一望できるNiantic, Inc.、そんな素敵なオフィスに川島さんを訪ねました。

Nianticに入ったきっかけ

川島 高(以下、高):そもそも優志さんがNianticに入られたきっかけは?

川島 優志(以下、優志):僕がGoogleのWebmasterチームに入った時の上司がデニス・フアン。彼はGoogle初期メンバーの一人で、昔は一人でGoogle Doodleを描いていた人です。デニスはその後、社内スタートアップとして始まったNianticの立ち上げメンバーとして参画したんですね。そういった縁があって、Ingressがローンチした時もβ版からテストユーザーとしてプレイしていた。それで彼からチームに参加しないかと声をかけてもらったことがきっかけです。2013年のことですね。

高:その後Ingressは日本で大人気になりました。人気を呼んだきっかけは何だと思いますか?

優志:Ingressでは街の彫刻とか面白いビルとか、そういった象徴的なものをポータルとしてゲームの主要な要素として扱っています。だから極端な例だと砂漠ではポータルが一個もないわけです。対して日本は歴史的な建物も多く、自然とポータルがたくさん出来たんですね。

もうひとつはiOS版と日本語版を出したことです。日本はiPhoneユーザーが非常に多い。それに英語に対する言語のバリアも高かったので、iOS版と日本語版が出たことが土台をつくる上で大きかった。

ちょうどその頃には、β版から始めてくれていたコアなユーザーによる様々な情報もインターネットにすでに上がっていた。なので、はじめてIngressを始めるユーザーのための環境もうまく整った状態でした。

あとはユーザー、僕らはエージェントと呼んでいるのですが、彼らが自主的にIngressを広めてくれたのが大きいですね。Ingressのスポンサー企業にしても、高レベルのエージェントが自分が勤める企業に働きかけてくれてスポンサーになってくれたケースがすごく多い。他にも芸能人の伊集院光さんが、彼もエージェントなんですが、深夜の人気ラジオ番組で20分ぐらいIngressについてすごく熱く語ってくれたんですね。しかも何週にもかけて。僕らが頼んだわけでもないのにです。そういう熱いユーザーのお陰で人気が広まったと思います。

次ページ 「Ingressで感じたデザインの本質」へ続く

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