電通 古川裕也さんが振り返る 2016年 国内外の広告賞審査会【後編】

ACC賞 フィルム部門審査委員長

ACC審査委員長というのは、少なくとも審査中はとても楽しいものである。審査員の選定にあたっては、直近3年でゴールド以上という条件にさせていただいた。どうしてもなんとなくバランスとって、みたいなことになりがちだからである。

するとだいたい適正に絞られてくる。結果、みんな優秀な知り合いであり、レベルの高い審査がほぼ保証される。国内の賞ならではの美点である。

ここだけの話、「厳正かつ公正な審査」というのは「目的のある雑談」とだいぶ似ている。審査の中には、ほとんど議論がなく投票を繰り返すだけのものもある。それはつまらない。せっかくこれだけのメンバーが集まっているのに。

最終的には投票で決めるのだけれど、とにかくみなさんにたくさんしゃべっていただいた。思わぬものに思わぬ人が入れあげる。多様な見方を目の当たりにできて、いまさらながらすごく勉強になった。審査員の役得というやつである。

審査委員長は今年で2年目。去年、半世紀以上続いた「テレビ部門」というカテゴリーを一度解体して,「フィルム部門」を新設した。その中のサブ・カテゴリーとして、Aカテゴリー:テレビCM。Bカテゴリー:オンライン・フィルムとに分割した。フィルム・メイキングによるクライアント・ワークであることが共通点であり、わかりやすく言うと、テレビCMとそれ以外のブランデッド・ムービー・コンテンツとによる区別である。去年も今年も、応募数でいえば、Bが増加しAが微減だった。

Aカテゴリー:テレビCM
テレビCMは、auの三太郎シリーズの圧勝。15票のうち12票を最初の投票で獲得した。去年すでに有力なグランプリ候補だったが、今年はさらに進化していた。明らかにうまくなっているのだ。審査員には澤本多田福里山崎(50音順)というセリフもの・シリーズものの名人たちがひしめいていて、どうしてもauのようなシリーズに対しては、評価が辛くなる。けれど、今年は有無を言わせなかった。50点のものを70点にするのはそれほどむつかしくないけれど、93点のものを98点に上げるのは、奇跡のようにむつかしい。

Bカテゴリー:オンライン・フィルム
要はCM以外のムービーということになる。これは大接戦。小林市。内閣府:オレオレ詐欺防止。資生堂:High School Girl。Als。の4本がグランプリ候補。3-4回投票したが、そのたびにトップが変わり、同時に脱落もない。それぞれ持っている価値が全く異なるので、厳密に比較するのは不可能に近い。最後は、フィルムの仕事を拡張した、対象に正面から立ち向かった、という理由でAlsがグランプリを獲得した。勇気ある仕事だった。

Bカテゴリーを2回審査してわかったのは、限られた秒数の映像でクライアント課題を解決するテレビCMという種目で培われた能力は、あらゆる映像表現はもちろん、ほぼすべての課題解決業に応用が利くだろうということである。

クリオのところでも述べたが、フィルムの審査は現在、confusionの中にある。審査委員長としては悩ましい。けれど、僕はこのconfusionを、とてもいいことだと思う。

僕たちは、今、フィルムを創るという仕事を拡張している真っ只中にいる。ついこないだまで、僕たちの仕事の分母は、テレビCMだった。だが、今は、フィルムを創ることすべてが分母になる。ショートフィルム、オンライン動画、PRムービーなどなど。ジャンルが拡張していくとき、ほとんどの場合、混乱が起きる。

けれど、このconfusionは、歓迎すべきことなのである。やがて必ず、多くの果実を僕たちにもたらしてくれるからである。可能性はやたら拡がってるんだけれど、どの辺があたりどころなのかわからないという闇雲な状態ほど、チャンスに満ちた時はない。

念のため言っておくと、やはり審査は日本語が楽しい。

わずか4つの体験だけれど、こうしてみるとグローバルなアワードとACCのような日本のそれとは、ずいぶん違うことに気がつく。

まず、日本で圧倒的に強くてもそれが即世界でも同様の高評価を得る、という幸運な状態にはないということ。これは永久に変わらない。カルチャー・ギャップの問題であり、言語障壁の問題である。より本質的には、アイデアに関する基本的な考え方の違いである。

セリフがおもしろい、何かぐっとくるものがある、ストーリーがおもしろい、などなどは、エクゼキューション・アイデアなので、フィルム・カテゴリーでいうアイデアとはみなされない。ブランドに対する新しい見方、仮説、概念のようなものの提示がまずないとアイデアとはみなされない。表現のだいぶ手前のできごとなのだ。

あえて言えば、おもしろいおもしろくない以前のことなのである。伝えるべきことに対して、何を発明したか。ひとえに、その関係性のゲームなのである。

だからこそ、日本人しか受容できない広告の中には、深く優れたものが実は多いのだ。文化的共通基盤の中の競争の方が、表現は高度化しやすい。どちらがいいという問題ではない。

もうひとつは、アワードの設計。グローバルな賞は、ほぼどれも、インダストリーの現状を反映した総合的な設計を目指している。結果、カテゴリー過多という問題もあるのだけれど。

ただ、ひと昔前と違って、マス広告のクリエーティブ以外どんなに優れていてもほめようがなかった状態からは、完全に脱却した。アワードはしょせん、現状追認にならざるを得ない宿命を負っている。けれど、現状のクリエーティブ・インダストリー全体をグリップするようなアワードは、日本にはまだない。コピーの賞、アート・ディレクションの賞、CMの賞、という風に職種別に分化した状態から出発したからだ。

ACCが、インタラクティブ・アワードを発展させて、インタラクティブ部門を新設したのが、3年前。来年以降も新しいカテゴリーが登場するだろう。ほんの数年前まで、最も旧態依然とした賞と言われたACCが、ここへきて、日本で初めて、インダストリーの現状を反映した統合的な賞に進化しようとしている。それは、とても意義深いことだと思う。

次ページ 「アワードが抱えていること」へ続く

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