【前回】「『逃げ恥』のヒットから考える「広告とはそもそも、心を動かすコンテンツではないか」という話」はこちら
ネット動画制作の低価格化は新たな商慣習になってしまうのか
ネットがもたらした一つの変化に、だいたいどんなことも安くなる、というのがあります。すべてがバーチャルだから。昔なら、こういう文章を皆さんに読んでもらうためには紙に印刷して配らなければならなかった。文章を原稿用紙に書いたら写植屋さんが文字を組んでデザイナーが貼って入稿して、校正もきちんとして印刷会社で刷ってもらう。それを販売店に置いてもらったり、配達してもらったり。
大変なプロセスだよなあと改めて思いましたけど、確かにやっていました。今もやっていますけどね。でも「活字を並べて文章に組む」なんて作業を、ついこの間まで人の手でやっていたなんて、今思えば信じられません。
それが今はWordで書いて宣伝会議の担当さんにメールで送ると、翌日あたりには「仮レイアウトしたので確認してくださーい」と言われて多少修正したら、もうこうしてあなたが読んでいる状況になるわけです。こんな風に大変な作業もなく、印刷という特別な機械も不要で、紙という物理的な媒体もいらない。だからネットは安いわけでしょう。
ところが、これが大きな副作用をわれわれの世界に引き起こすことになる。われわれというのは、「広くメディアやコンテンツに関わるわれわれ」のことを指しています。