メール受信設定のご確認をお願いいたします。

AdverTimes.からのメールを受信できていない場合は、
下記から受信設定の確認方法をご覧いただけます。

×
コラム

関西で戦う。クリエイターの流儀

兵庫県・小野市の伝統産業と世界をつなげるデザインスタジオ

share

【前回コラム】「大阪で雑誌を出し続けて10年、究極のローカルは「面白い個人」だと気づいた」はこちら

関西でかたちラボという屋号でコピーライターをしている田中です。地域産業とクリエイティブ。このことにおいて課題解決やデザイン、ブランディングも大事ですが、何よりもお客様にしっかりと届いて売れるかどうかが重要。

そのためには「デザインする」という1パートだけではなく、一緒に売り込むなど、さまざまなことを背負う必要があると思います。正直、今の自分にそれがあるかどうかと言われると・・・。

なので、今回はデザイン・プロデュースから、海外への売り込み、職人を育成する場づくりまでを行っている方にお話を聞き、地域産業との関わり方について改めて考え直してみました。

シーラカンス食堂・小林新也さんの場合

「関西で戦う。クリエイターの流儀」第8回目に登場していただくのは、兵庫県・小野市を拠点に活動するデザインスタジオ「合同会社シーラカンス食堂」代表の小林新也さん。小野市は神戸の中心地・三ノ宮からバスで1時間ほどにあるまちです。シーラカンス食堂は実家である表具屋の隣に事務所兼作業場を構え、同時にその場所は播州刃物の職人を育てる拠点としても活用。地元の伝統工芸と寄り添い、新たな考え方を構築し、付加価値を与えて世界へ届けています。

小林新也(合同会社シーラカンス食堂)

大阪芸術大学在学時に島根・江津市のリノベーションプロジェクトを行い、地域産業を盛り上げるために生まれ育った小野市に戻り、2011年にデザインスタジオ「シーラカンス食堂」を設立。播州そろばんや播州刃物などの地元の産業はもちろんさまざまな地域の伝統産業をプロデュース。

 

業界と職人を元気にさせる、播州そろばんをプロデュース

シーラカンス食堂・小林さんは、大学在学中からミラノサローネや瀬戸内国際芸術祭への出展など、確実に実績を重ねながらも企業へ就職するのではなく、卒業後、すぐにデザインスタジオを立ち上げます。

そのタイミングで運命的に出会うのが、播州そろばんです。小林さんの地元・小野市は、今や伝統的工芸品として認定されている播州そろばんの生産地。しかし、現在は電卓の発達、そしてスマホの登場などでそろばん需要が減っています。そこで小林さんは、どのようにして播州そろばんを立て直そうと考えたのでしょうか。

—そもそもなぜ播州そろばんに携わろうと思ったのですか?

小林:たまたま同級生の父親が播州そろばんを作る会社をやっていたことを思い出しまして。で、すぐに連絡を取って話を聞きに行きました。「株式会社ダイイチ」という会社ですが、会った翌日に一緒にやろうと返事をいただいて。

まずは徹底的に職人や当事者の方々から話を聞き、徐々にそろばん産業のことが見えてきて最大の課題が浮き彫りになってきました。それは、商品が売れる・売れないということではなく、制作工程が完全分業制だということです。

例えば、そろばんの珠を削る人が辞めて誰もいなくなってしまったら、全ての工程ができなくなり生産できなくなります。だからこそ、新たなそろばんをデザインすることではなく、各工程の職人たちが輝いて後継者も生み出すようなことをしなければ、と思いました。

—播州そろばんの未来をデザインしようと思ったのですね。具体的には何をしたのですか?

小林:そろばんを買うというよりも、そろばんの珠をいっぱい作って使ってもらえるようにしたいと考えました。そこで目をつけたのが販路です。

そろばん産業は全盛期よりも生産数は減っていて苦戦しているのが現状ですが、年間約14万挺が販売されています。そのほとんどは、そろばん塾に通う生徒のためのものです。

実はしっかりとした販路とビジネスモデルのもとにそろばん産業が成り立っていることに気づき、そろばん塾で必要とされるものを生み出そうと思いました。そして、そろばんの珠を活かして手がけたのが「そろクロ」です。

—そろばんの珠を活かした時計ですね。これはどのような反響がありましたか?

小林:そろクロは印字するサービスも行なっています。通っていたそろばん塾を卒業する際に塾名と生徒の氏名を印字してお祝いとして贈るというシーンを提案しました。

そろばん塾の卒業生は毎年一定数いるので、そろクロは確実に売り上げています。そもそも、そろばんは計算機としてはもはや終わっていると考え、価値を「教育道具」や「体験」に変化させなければ、と。そろクロを皮切りに、さまざまな教育道具、自分で珠を選び組み立てられるそろばんを開発しました。

そこで、作った商品をラインナップするパンフレットを制作。その掲載順も教育道具や教育玩具、雑貨などを前のページで紹介し、伝統的工芸品としてのそろばんは後ろのページに。求められるものを優先して、しっかりと「播州そろばん」の需要が高まるようにこだわりました。

—そのようなパンフレットができあがると、関係者の方々も自分たちの取り組みや展望が見えて来たのではないでしょうか?

小林:そうですね。そのパンフレットによって整理できて、次に仕掛けたのが小野市に作った「そろばんビレッジ」という体験の場。自分で好きな珠を組み合わせて作ることができる工房として、修学旅行や会社の研修、旅行会社のツアープランのスポットとして連日にぎわっています。

さらに海外展開用に「NEW STANDARD」という播州そろばんのエッセンスを注ぎ込んだ商品も作りました。実は、世界のそろばん人口は僕たちの想像以上。例えば、中東・レバノンでチェーン展開しているそろばん塾には6000人以上の生徒が通っているそうです。

海外で使われているそろばんはチープなものが多く、本格的なものが欲しいというニーズもあります。だからこそ、播州そろばんの魂を注いだ「NEW STANDARD」の展開には大いに可能性があると思います。

播州そろばんから播州刃物、そしてアムステルダムの現地法人へ

国内における播州そろばんの価値を変え、そして世界には真っ向勝負で播州そろばんのエッセンスを発信している小林さん。播州そろばんでの展開は多くのメディアで取り上げられ、2013年に播州刃物に携わる方から連絡をもらい、播州刃物にも関わることに。播州刃物は、世界展開をより見据えて動いています。その狙いと展望、そして海外に拠点を作った理由をお聞きしました。

—播州刃物にはどのような課題がありましたか?

小林:例えば、播州刃物の1つである鋏(はさみ)では何十行程という作業を経ても、価格は1本1000円くらい。そうすると職人の利益も少なく、当然後継者になる人もいなくなります。国内ではその価格を変えることと強みを打ち出すことは難しいと思い、ブランドをしっかり構築し、海外に展開することを考えました。

思い切って国際展示会に出展し、そこでパリから来たバイヤーと出会って「パリ・デザインウィーク」に出ないかという誘いを受けることに。そこからどんどん展開が生まれていきました。海外の展示会は、日本と違いその場でバイヤーが買い付けを行うのが特徴です。バイヤーがファンになってくれることで、次の機会でも商品を買ってもらえるという循環が生まれ、海外での認知度が上がっているのを感じます。

—海外での反応はダイレクトですね。とても可能性を感じます!これからの展開を聞かせてください。

小林:僕が関わっている播州そろばんの会社には若手の職人が入りました。播州刃物は、現役の職人が少なくなりすぎて、あまりにも高齢化が進んでいるのが課題です。なので、播州刃物も後継者育成を目的とした場所を、自分たちの拠点の中に作りました。

誰かに弟子入りするというよりも、工場を作ってそこに地域の職人の方々も関わり、彼らから実践を通して学べるようにするための場所です。あとは新たな展開としてオランダ・アムステルダムに現地法人「MUJUN」を立ち上げましたね。

—え。オランダにですか?あまりものづくりのイメージがないのですが。

小林:オランダって実はめちゃくちゃ日本のものづくり文化が根づいていまして。古くから日本と貿易をしていたということもあり、博物館には日本の工芸品も数多く所蔵されています。きっかけは、オランダで「Mono Japan」という展示会をオーガナイズしている方と出会ったこと。実際に出展してみても、現地の方々からの受けはとても良かったです。

刃物研ぎワークショップも行ったのですが、積極的に参加してくれて、オランダで日本のものづくりの醍醐味は十分に伝わると思いました。だからこそ現地に拠点を作ることで、自分たちの想いや取り組みをぶらすことなく展開できるな、と。

オランダはもともと貿易がしやすい土地で、さまざまな国や地域への流通も可能です。なので、今は地元・小野市での後継者育成と、オランダを拠点に世界展開を進めています。

—お話ありがとうございました!デザインだけではなく、職人のための工場を作る、海外で商品を売るための拠点を作る、そこまで実現するのは本当にすごいです。これからシーラカンス食堂、MUJUNがどうなっていくのか。またぜひ聞かせてください。