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コラム

国民総ダンサー時代前夜に考える、ダンスとクリエイティブの幸福な関係

カリスマカンタローが語る、ダンス界のW杯「ダンスアライブ」の未来

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【前回の記事】「「バブリーダンス」は奇跡ではない。バブルで終わらないakane式ダンス論。」はこちら

“ダンス界のW杯”を立ち上げたダンサー、カリスマカンタローさんインタビュー

アノマリー代表取締役CEOのカリスマカンタローさん。現在はLDH JAPAN執行役員とEXPG取締役も務める。(写真:飯野高拓(梅棒))

今回のコラムは、ダンスイベントのプロデューサーとして現在の日本のダンスシーンに多大な影響を与えてきたカリスマカンタローさんにお話を聞いてきました。

このコラムでもたびたびご紹介してきましたが、ダンスバトルはここ15年ほどでダンスコンテンツとして大きな成長を遂げ、世界各国で巨大なイベントが開催されています。
その日本代表が、ダンスアライブ。長年、両国国技館での大会を続け、日本ダンス界の風物詩にまでなったイベントを始めたのが、ダンサーからダンス事業の経営者となったカリスマカンタローさん(アノマリー代表取締役CEO)です。

現在はLDH JAPAN執行役員とEXPG取締役も務めており、8月3日にさいたまスーパーアリーナで行われる「DANCE ALIVE WORLD CUP 2018」の準備中。

 

LDHと言えば、先日のカンヌでEXILEのHIROさんが登壇されるなど広告界でも今後の展開が注目されています。
世界一のダンスバトルイベントになろうとしている、DANCE ALIVE WORLD CUPとは。

—まさに私と同世代のカンタローさんですが、どのような形でダンスと出会ったのでしょうか。

カンタロー:長崎出身なのですが、母親が今も現役のダンサーなんです。それで自然と自分も踊るようになりました。ただ、中学生の時にJリーグがスタートして、高校最後の総体まではサッカー漬け。引退してからダンスに本格的に戻ってきたという感じです。とにかく「何かで世界一になりたい!」という夢を抱いている子供でした。

長崎にいるころの東京のダンスシーンは、ダビングを繰り返してたどり着いたVHSの映像で見るという時代でしたね。「メインストリート」(東京で行われていた伝説的ダンスイベント。ZEEBRA氏がMCを務め、初代のJ SOUL BROTHERSなども出演していた)とか。

その後大学進学と共に上京して、あこがれていたダンサーの方々にダンスを習いながら、徐々にダンサーとして一番を目指して活動していくことになります。

—なつかしい時代ですね…!そこからコンテストに挑戦していきましたね。

カンタロー:そうです。ダンスもハウスに絞って、Xyon(ザイオン)というチームを作って。それこそ最初はDAZZLEも出ていた「RAVE2001」(テレビ東京で放映されていたTRFのSAM氏がMCを務めるチームダンスコンテストがメインのダンス番組)に出たかったんですけど終わってしまって、「ジャパンダンスディライト」(日本最大のチームダンスコンテスト)に挑戦していくことになります。赤坂BLITZでDAZZLEが二位になったときも会場で見ていましたよ。

—僕も見ていました(笑)。電撃チョモランマ隊(元気が出るテレビのダンス甲子園にも出演していた名チーム)が一位の時ですね。カリスマと名乗り始めたのはその頃?

カンタロー:はじめてダンスディライトの決勝に行ったときに、「ディライトマガジン」(当時ダンサーのほとんどが読んでいたフリーペーパー)に名前が載るんですね。その時インパクトのある名前にしたいなと(笑)。よく、ダンスシーンを変えたいというような発言をしていて仲間たちから「カリスマだよね」とからかわれていたので。カリスマ美容師とかの流行りも終わった後で、完全にジョークとしてつけたのに、そのまま定着してしまいました。

次ページ 「最初は自腹で赤字 でも常に前のめりで拡大していった」へ続く