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コラム

国民総ダンサー時代前夜に考える、ダンスとクリエイティブの幸福な関係

カリスマカンタローが語る、ダンス界のW杯「ダンスアライブ」の未来

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最初は自腹で赤字 でも常に前のめりで拡大していった

—でも、2005年のダンスアライブのスタートによって本当にカリスマになっていった印象があります。バトルイベントを始めたのはなぜですか?

カンタロー:ダンスシーンの中でバトルが盛り上がっていたということと、自分も色々なイベントに出場していく中で「もっといいやり方があるんじゃないか?」と常々思っていたからです。まだ、東京に大きなバトルイベントがなかったですし。

最初は、日本一大きなイベントにして、そこで自分たちがショーをすれば有名になれるだろう、という動機で始めたんです。

—そうだったんですね(笑)。最初の手ごたえはどうでしたか?

カンタロー:最初はヒップホップとハウスの二ジャンルで六本木のコアというクラブでスタートしました。イベントとしてはとても盛り上がったのですが、70万円赤字。当時ダンスコンテストやバトルの賞金が少ないのが、出場者としておかしいと思っていたので、優勝賞金を10万円にしたこともあって。一回で終わったらただ損をしただけで終わってしまうので、赤字は自腹でなんとかして二回目を開催したんですが、それも30万円赤字。でも、可能性を感じていたので、二回目の時に「次はスタジオコーストでやります!」と口走ってしまったんです。会場も押さえていないのに(笑)。

—スタジオコースト(新木場にある関東最大規模のクラブ。人気イベント「AGEHA」で有名)でやるというのが、ダンス界でとても話題になったのを覚えています。僕も見に行きましたし。当初は会場が決まってなかったんですね(笑)。その頃はもうアノマリーとしてやられていたんですか?

カンタロー:そうです。もともとXyonのためのアパレル制作・販売会社として設立したんですが、そのままダンスアライブの運営をしていくことになりました。すぐに人づてにスタジオコーストの方にお会いしにいったのですが、熱意を買ってくださって「とにかく君には貸すから」と言って頂き、イベントスタッフさんまで紹介していただいて、なんとか開催できました。ただ、また多額の赤字。

イベントのクオリティを上げたい、ダンサーを盛り上げたいと思って、いつも無理をしてしまうんです。ダンスのバトルはダンサーが1対1で向かい合うというシンプルなものだけに、ステージや照明や入場演出などにこだわりたかった。

困っていた時に代理店の方に「このイベントは可能性があるから協力したい」と言われて、そこから企業に協賛していただくという方法があることを学んでいきました。最初にあるWEBサービスの会社が冠スポンサーについてくれて、次のステージに進むことができました。さらに、自分たちで直接企業の方々に営業していくことも覚えて、次に冠スポンサーになってくださったのがナイキさんで、ダンスアライブも両国国技館で開催することになります。

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