なぜ、「女性を語る広告」はこじらせているのか

【前回コラム】「TikTokがワカモノアプリの時代は終わった。2019年のTikTokはオトナがブーストさせていく」はこちら

版権:bee32/123RF 写真素材

最近、“女性を語る広告”がうるさい。

一言多いようなことを言っては、勝手に炎上している印象を受ける。

作り手が知ってか知らずか、“オンナの人生”というのはセンシティブなものだ。最近は議論が次々と起こっているからみんなうっすらと知っていると思うが、マスメディアどころか、友だち同士でさえ、相手の人生に口出しするのはタブーなのである。お互いに干渉が過ぎれば強固な友情も壊しかねない。

働いている女性、子育てしている女性、趣味に生きる女性。それぞれが社会に多大な役割を与えられながら、それぞれの人生を信じているし願っているし、だから誰かに言われなくても自分が一番、理想の人生のために努力しているのである。

確かにこれらは、「取り上げるべき社会問題」ではあるのだが、目立ちたいがために「ホットなトピック」として取り上げては炎上して焼け野原を作っている事例をよく見かける。

「盛り上がったからOK」という“炎上商法”を未だに信仰しているならば、前時代的な脳みそを捨てて、はやく2019年を生きてほしい。さんざん“炎上商法”を見てきたわたしたちは、炎上したブランドを“イロモノ”としてはっきり意識している。それとも、イケてるブランドからは周回遅れのスタート地点に立って長距離走を戦う準備はできているというのだろうか。

残された「社会にメッセージを」という役割

先日友人と話していて、「炎上するのは広告の中でも、ポスターや雑誌の表紙なんかが多いね」という話題になった。そして、最近はそういった広告が「社会へのメッセージを語るものが多いよね」という話にもなった。

それは女性に関するものだけではない。直近の例ではSurfaceが大学生をテーマに社会的な広告を出した。P&Gの就活生をテーマにした広告も記憶に新しい。日本が「変革」を求めているのか、こういった「社会に問いを投げる」広告が増えているような気がする。

また、最近、といってももう長いが「モノよりコト」と言われるし、「UX」という言葉も流行っていて、商品を得ることによる「体験」、ブランドを手にすることによる「体験」を語ることが差別化になる、という文脈が語られがちである。ともすれば、社会に対するスタンスを発表して、「わたしたちはこういうポリシーのブランドです」と語ることができれば、そのブランドの商品には機能以外の付加価値が生まれる。

私自身も、「24時間効果が切れない!コスパがいい!安い!軽い!強い!」みたいなことを語られるよりも、「私たちはこういう人に向けてものづくりをしています」と言われる方がその商品やその背景にあるブランドのことをよく理解できるような気がする。

そもそも、機能を知りたいなら、レビューサイトやSNSを見るようになってしまっている自分がいる。機能を語られても、それは「宣伝文句」でしかなく、本当にいいものはソーシャルメディアや口コミを閲覧して見極めるようになった。そこでの公式の広告の役割はほとんどないのかもしれない。

では、やっぱり社会問題をテーマに話題になるメッセージを!という結論に行き着くかもしれない。だけど、それはハイパー高いハードルなのである。もちろん、“多くの人に刺さるメッセージを作る”難しさでもある。

ここで考えなければいけないのは、私たちの視界が“どんどん細切れになっている”ということだ。ソーシャルメディアやゲームの影響で、余暇時間はどんどん細切れになっている。一つの広告に目を通すのは一瞬だ。思考を巡らせるのも一瞬。その間に、難しい社会の問題を短いメッセージコピーで伝えるのは至難の業ではないか。

次ページ 「どうして女性向け広告は「こじらせている」のか。」へ続く

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りょかち
りょかち

1992年生まれ。京都府出身。神戸大学卒。SNSに自撮りをアップし続ける「自撮り女子」として注目を浴びる。現在では、自撮りのみならず、若者やインターネット文化について幅広く執筆するほか、若年層に向けた企業のマーケティング支援も行う。著書に『インカメ越しのネット世界』(幻冬舎刊)。

りょかち

1992年生まれ。京都府出身。神戸大学卒。SNSに自撮りをアップし続ける「自撮り女子」として注目を浴びる。現在では、自撮りのみならず、若者やインターネット文化について幅広く執筆するほか、若年層に向けた企業のマーケティング支援も行う。著書に『インカメ越しのネット世界』(幻冬舎刊)。

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